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The Real Climbing

Production Notes

トップアウトしたのは、夕方の5時近かった。傾きかけた西の日が、ドー
ムの頭と、そこに立ちあがったふたりを照らしていた。

 滝谷を選んだのは、プロ・アルパインクライマーの花谷泰広だった。日本の山岳登攀史を語るうえで欠くことのできない地であり、そして蒲田川から一気に3000mの穂高稜線まで突き上げる峨々たる岩壁は、比類ないものであった。それはまるで、岩でできたひとつの劇場のようでもある。
「”滝谷”というロケーションで登りたい」と花谷は言った。数あるルートのなかから、ダイヤモンドフェースからドーム西壁につなぐことを選んだのも彼だった。

 今回のプロジェクトは、クライミングのリアルな姿を表現することが目的だった。だから制作側がルートを示すという発想はどこにもなかったし、いつどこを、どうやって登るか、クライマー自身が決めるのは至極当然のことだった。この撮影に参加することになった10人のメンバーが、ひとつの登山隊を作ったようなものであり、いいクライミングを実現させ、いい映像を撮りたいという共通の目的にむかって、それぞれの位置からできる限りのことをやった。

 9月初頭、花谷と映像作家の関口雅樹、フォトグラファーの廣田勇介、サポートの松田好弘が、ケハンのために穂高に上がった。撮影場所はどこがよいか、また朝夕の光が岩壁にどんな具合にあたるのか確認するためだった。ロケハンでの収穫は、かなりのものだった。2台のカメラ位置も確定できたし、岩壁をもっとも美しく立体的に照らし出す時間帯がいつであるのかも、わかった。4人は穂高から下山した足でそのまま、信州の別の岩場に移動し、クライミングロープを使いながら、撮影のた
めのさまざまな調整も行なってきた。

 そしていざ、撮影本番。9月17日、台風一過の青空のもと、上高地を出発した。途中、梓川の右に渡り、穂高神社を参拝した。安曇野にある穂高神社の奥宮だ。山のなかにありながら、海神をまつるこの神社の背後には明神池があり、そして明神岳がそびえている。さらにその先は穂高の山々
へと連なっていくのだ。ここで私たちは、登山の無事と撮影の成功を誓った。

 涸沢で1泊したのち、18日早朝に、北穂高岳南稜を上がった。北穂高小屋のテラスで、花谷とパートナーの今井健司はクライミングギアの準備をした。撮影チームは2手に分かれる。第二尾根P2で撮影する関口と山岳ガイドの杉坂勉は、途中まで花谷達と一緒に下降していく。P1でカメラを構えるのは廣田、サポートは松田だ。この企画の発案者でありプロデューサーの竹内洋岳と私は、北穂高岳北峰から皆を見守ることになった。ここにいれば、撮影2チームの動きがよく見えるからだ。

 関口が考えた光の加減、そこから逆算し、9時30分に一行は、滝谷
へと下っていった。

 以後、私たちがいた北峰から花谷達の姿が見えたのは、ダイヤモンドフェース終了点間近になってからだった。12時過ぎのこと。「思ったよりも早かったね」というのが、カメラの望遠レンズをのぞきながら、率直にぽつりと出た一言だ。ダイヤモンドフェースを登る人は、近年まれだ。数年前にポーランドからやって来たふたりが登ろうとしたが、あんまりにコンディションが悪く、しかもケガもして戻ってきたという話を、北穂高小屋で聞いていた。まともなプロテクションもとりにくいなか、ふたりはどうやって登ってきたのだろうか。

 それに比して、西壁は一気に明るい雰囲気になった。さぞ愉しかろうことが、遠目にもよくわかった。ダイヤモンドフェースを抜けてきたときの慎重な動きとは一変し、60mのクライミングロープを目一杯伸ばし、のびのびと登っている。そのリアルな姿は、ぜひとも映像から感じ取ってほしい。わずかに白い雲が青い空に浮かび、岩は乾いていた。風もほとんどない。それはある意味、滝谷らしからぬ条件だった。

 そんななか、ときおりガスがたちこみ始めたのは、午後になってからだった。それでもガスは薄く、垂れこむことはなく、少し待てば視界も晴れてくる。クライミングへの影響はなかったが、カメラから彼らをまったくとらえられない時間帯もあり、いっときガスが切れるのを待ってもらった。

 その間に、廣田たちはドームの頭に移動した。ここから北壁寄りに下り、クライマーふたりを迎えるという構図だ。ロープで松田に確保された廣田から無線が入ったのはその時だった。「ここからでは、花谷くんたちの姿が見えません。カメラとの位置関係はどうなっていますか?」。いくらドーム周辺といえども、そこは滝谷。ちょっとしたロープの動きで浮石を落としてしまうこともある。廣田はカメラとクライマーのラインが重なることを危惧していたのだ。こういうとき、全体を見渡せる場所にいてよかったと思う。北壁と西壁、カメラ位置とクライマーのラインを読み取り、報告することができる。

 二人が登り終え、撮影チームともども全員が北穂の山頂に戻ってきたのは、5時半を回っていた。杉坂が、「いいものを見せてもらったよ。僕もまた、登りたくなった」と言ったのが印象的だった。長い撮影になったが、振り返ればあっという間だった。時には息をのみ、時には感嘆の声をあげ、皆が、滝谷を攀じ登るふたりを見つめた。

 北穂高小屋で遅めの夕食を終えたあと花谷は、床についたものの興奮が収まらなかったのか、目がさえ、なかなか寝付けなかったという。彼が深い眠りに落ちたころ、関口はカメラを携えて床を出た。小屋の裏手に、滝谷をのぞき込めるところがある。明け方4時。仲秋の名月と満月が重なったこの日。満ちた月が、漆黒の空に輝いていた。それは、恐ろしいほど美しい光景だった。
(柏 澄子)

2014年9月滝谷・撮影チームメンバー

クライマー 花谷泰広(プロ・アルパインクライマー)
クライマー 今井健司(アルパインクライマー)
メインカメラマン、映像編集・制作 関口雅樹(映像作家)
カメラマン 廣田勇介(フォトグラファー)
コーディネーター 柏 澄子(山岳ジャーナリスト)
撮影サポート 杉坂 勉(山岳ガイド)
撮影サポート 松田好弘(アシスタント)
ボッカ 荒川武大(信州大学山岳部)
ボッカ 塩谷晃司(信州大学山岳部)
プロデューサー 竹内洋岳(プロ登山家)

ラディカル・ネイチャリング・コンテンツ・ステーション(ラナコスタ)
www.ranacosta.net

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Comments

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蛭田雅則

美しいものを知れば知るほど、 その人の心は豊かになり、 そして、 その人自身の魅力が増してきていると感じます。