日本一わかりやすい8000m峰14座
完全データ
8000m峰14座とは
地球上には、エベレストをはじめ8000mを超える山が14座あります。このページでは、竹内洋岳が登った世界8000m峰全14座について、独自調査も含めた様々なデータや考察を、可能な限り表やビジュアル化を行いわかりやすく纏めました。
8000m峰14座の場所
8000m峰14座は、全て、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に位置し、世界で最も高い山々が連なり、空に最も近い場所であることから『世界の屋根』ともいわれています。
ヒマラヤ山脈は、パキスタン・インド・中国(チベット)・ネパール・ブータンの5か国の国境付近に位置する全長2400㎞にも及ぶ巨大な山脈です。himālaya(ヒマーラヤ)とは、サンスクリット語で、hima(雪)と ālaya(すみか)から「雪の住みか」という意味を持ちます。ヒマラヤ山脈は、標高世界第1位のエヴェレスト(エベレスト)をはじめ、マカル―、アンナプルナ、シシャパンマ、カンチェンジュンガ、マナスル、ローツェ、チョ・オユー、ダウラギリがヒマラヤ山脈に位置し、8000mに次ぐ7000m級の山々は100以上も存在しています。また、ガンジス河の水源でもあるガンゴートリー氷河や、ヤムナ川の水源であるヤムノートリー氷河、カンチェンジュンガから流れるゼム氷河、エヴェレスト登山で有名な「クーンブ・アイスフォール」のあるクーンブ氷河などが存在します。
カラコルム山脈は、パキスタン・インド・中国の国境付近に横たわる全長500kmにも及ぶ山脈です。カラコルムとは、テュルク語とモンゴル語で「黒い砂礫(されき)」という意味を持ちます。カラコルム山脈は、標高世界第2位のK2(ケーツー)を筆頭に、ナンガパルバット、ガッシャブルムⅠ峰、ガッシャブルムⅡ峰、ブロードピークが位置し、標高7000m級の山々は60以上も存在しています。また、世界最大級の氷河地帯でもあり、シアチェン氷河、ビアフォ氷河という世界第2位・3位の氷河や、K2から流れるゴッドウィンオースチン氷河、山脈の中央には有名なバルトロ氷河などが存在します。
8000m峰14座 入門編
まずは入門編として、ここでは8000m峰の初登頂記録や、登頂者数などの情報をまとめています。
世界の初登頂者
1 | アンナプルナ | 8091m | 1950年6月3日フランス隊 モーリス・エルゾーグ、ルイ・ナシュナル |
---|---|---|---|
2 | エベレスト | 8848m | 1953年5月29日イギリス隊 エドモンド・ヒラリー、テンジン・ノルゲイ |
3 | ナンガパルバット | 8126m | 1953年7月3日ドイツ・オーストリア隊 ヘルマン・ブール |
4 | K2 | 8611m | 1954年7月31日イタリア隊 アッキレ・コンパニョーニ、リーノ・ラチェエデッリ |
5 | チョ・オユー | 8201m | 1954年10月19日オーストリア隊 ヨゼフ・ヨヒラー、パサン・ダワ・ラマ、ヘルベルト・ティッヒー |
6 | マカルー | 8463m | 1955年5月15日フランス隊 ジャン・クジ―、リオネル・テレイ |
7 | カンチェンジュンガ | 8586m | 1955年5月25日イギリス隊 ジョージバンド・ジョーブラウン |
8 | マナスル | 8163m | 1956年5月9日日本隊 今西壽雄、ギャルツェン・ノルブ |
9 | ローツェ | 8516m | 1956年5月18日スイス隊 フリッツ・ルフジンガー、エルスント・ライス |
10 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m | 1956年7月8日オーストリア隊 ヨゼフ・ラルヒ、フリッツ・モラベック、ハンス・ヴィレンパルト |
11 | ブロードピーク | 8051m | 1957年6月9日オーストリア隊 ヘルマン・ブール、クルト・デュームベルガーら |
12 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m | 1958年7月5日アメリカ隊 アンドリュー・カウフマン、ピーター・シェーニング |
13 | ダウラギリ | 8167m | 1960年5月13日スイス隊 クルト・デュームベルガー、ピーター・ダイナーら |
14 | シシャパンマ | 8027m | 1964年5月2日中国隊 許競隊長を含む10名 |
日本人の初登頂者
1 | マナスル | 8163m | 1956年5月9日日本山岳会第三次登山隊 今西壽雄、ギャルツェン・ノルブ |
---|---|---|---|
2 | エベレスト | 8848m | 1970年5月11日日本山岳会エベレスト登山隊 植村直己、松浦輝夫 |
3 | マカルー | 8463m | 1970年5月23日日本山岳会東海支部学術遠征隊 田中元、尾崎祐一 |
4 | ダウラギリ | 8167m | 1970年10月20日同志社大学第三次ヒマラヤ登山隊 川田哲二、ラクパ・テンジン |
5 | K2 | 8611m | 1977年8月8日日本山岳協会日本K2登山隊 重廣恒夫、中村省爾、高塚武由(世界二番目) |
6 | ブロードピーク | 8051m | 1977年8月8日愛知学院大学登山隊 辻美行、野呂和久、尾崎隆 |
7 | アンナプルナ | 8091m | 1979年5月8日静岡県ヒマラヤ登山隊 田中成三、シェルパ |
8 | カンチェンジュンガ | 8586m | 1980年5月14日山学同志会 川村晴一、鈴木昇己ら6人 |
9 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m | 1980年8月2日ベルニナ山岳会登山隊 佐藤英雄、福島和明、今田賢次他 |
10 | シシャパンマ | 8027m | 1981年4月30日希夏那瑪日本女子登山隊 田部井淳子(女性初及び日本人初登頂) |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m | 1981年8月3日長野県山岳協会登山隊 下鳥康三、藤次康雄ら4人 |
12 | ナンガパルバット | 8126m | 1983年7月31日富山県山岳連盟登山隊 谷口守、中西紀夫 |
13 | ローツェ | 8516m | 1983年10月14日カモシカ同人登山隊 高橋和之ら |
14 | チョ・オユー | 8201m | 1985年10月3日カトマンズクラブ登山隊 中西紀夫、北村貢、三谷統一郎 |
累計登頂者数
(1953-2018)No | 8000m峰 | 標高 | 累計登頂者数 |
---|---|---|---|
1 | エベレスト | 8848m |
9171人 |
2 | K2 | 8611m |
367人 |
3 | カンチェンジュンガ | 8586m |
373人 |
4 | ローツェ | 8516m |
785人 |
5 | マカルー | 8463m |
454人 |
6 | チョ・オユー | 8201m |
3828人 |
7 | ダウラギリ | 8167m |
550人 |
8 | マナスル | 8163m |
1742人 |
9 | ナンガパルバット | 8126m |
400人 |
10 | アンナプルナ | 8091m |
266人 |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m |
350人 |
12 | ブロードピーク | 8051m |
406人 |
13 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m |
1000人 |
14 | シシャパンマ | 8027m |
350人 |
生存率
(1953-2018) ※死亡者数/登頂者数として集計した場合No | 8000m峰 | 標高 | 生存率 |
---|---|---|---|
1 | エベレスト | 8848m |
96.8% |
2 | K2 | 8611m |
77.1% |
3 | カンチェンジュンガ | 8586m |
87.4% |
4 | ローツェ | 8516m |
97.3% |
5 | マカルー | 8463m |
90.9% |
6 | チョ・オユー | 8201m |
98.7% |
7 | ダウラギリ | 8167m |
84.9% |
8 | マナスル | 8163m |
95.1% |
9 | ナンガパルバット | 8126m |
79.3% |
10 | アンナプルナ | 8091m |
73% |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m |
90.3% |
12 | ブロードピーク | 8051m |
91.6% |
13 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m |
97.7% |
14 | シシャパンマ | 8027m |
91.1% |
連続登頂生存率
(1953-2018) ※死亡者数/登頂者数として集計した場合No | 8000m峰 | 標高 | 連続登頂生存率 |
---|---|---|---|
1 | エベレスト | 8848m |
96.8% |
2 | K2 | 8611m |
74.6% |
3 | カンチェンジュンガ | 8586m |
65.2% |
4 | ローツェ | 8516m |
63.5% |
5 | マカルー | 8463m |
57.7% |
6 | チョ・オユー | 8201m |
56.9% |
7 | ダウラギリ | 8167m |
48.3% |
8 | マナスル | 8163m |
46% |
9 | ナンガパルバット | 8126m |
36.4% |
10 | アンナプルナ | 8091m |
26.9% |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m |
24.2% |
12 | ブロードピーク | 8051m |
22.2% |
13 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m |
21.7% |
14 | シシャパンマ | 8027m |
19.8% |
図で見る8000m峰14座
登頂が困難な理由8000m峰などの高所登山を行ううえでは、時間的な制約や、常に付きまとう雪崩リスクだけでなく、天候や気温、酸素濃度など様々な要因が複合的に組み合わさり、その難易度を高めています。ここでは、それらの要因に関する情報をピクトグラム等の図を使って解説します。
人類が到達した極地
日本の山と比較
?
14座の「座」って何
チベットと日本だけに存在する山岳信仰
ヒマラヤのあるチベット文化圏では、現在でも登山禁止の山があるなど、山は神が宿る場所として崇められ、古くから信仰の対象とされてきました。
これらの信仰では、山自体を神とする為、山を登る行為は、神様を踏みつける事になる為、長らく登山は禁忌とされてきました。現在においても、カンチェンジュンガでは、頂上には立たずその少し手前まで登ったところを登頂のポイントとするなど厳格に定められている山もあります。
日本においても同様の信仰があり、山の中腹の祠の先は、神様の領域(御世の世界)であるとする「山中他界」と言う考え方があります。昔は、特別な力を持つとされる山岳行者のみが、先に進むことを許されていた時代もありますが、チベットとの違いは、信仰として山に登るという文化でした。
これらに対し、ヨーロッパでは逆の考え方があり、キリスト教圏などでは、高い山には悪魔がいるとして長く恐れられ、登頂者は山頂に「悪魔封じの十字架」を立てるという、いわば真逆の思想がありました。
これらは、龍に対する考え方にも共通する部分があり、日本や中国においては、龍は、龍神や神獣として崇められていますが、ヨーロッパ圏では、龍や蛇は悪魔の化身であるとされてきた事なども、思想の違いを反映していると言えるのではないでしょうか。
「座」と呼ぶのは日本人だけ
チベットの山岳信仰では、山が神そのものであり、登山は行いません。それに対して日本の山岳信仰では、山は神がいる場所とされ、より神に近づく為に登山を行ってきたという長い歴史があります。実は、信仰の対象として登山を行う文化をもっているのは日本だけなのです。
8000mの14の山を座と言うようになったのは、これらの文化的理由からであり、8000m峰には14の神が居る場所(座している場所)として、「14座」と呼ぶようになったのです。
ヨーロッパでは、8000m峰14座の事を、信仰の概念は関係なく「8000m以上の山」と言う意味合いで「EIGHT-THOUSANDER PEAKS」と呼んでいます。
日本の気温と比較
日本の気圧と比較
?
1万メートルで飛ぶ飛行機の中は?
一般的な飛行機の平均巡航高度は1万メートルですが、平地と同じようにすごせるよう、機内は高度2000メートルの0.8気圧(810.6hPa)程度、酸素分圧も地上の80%程度に調整が行われています。
風の速さを比較
?
ジェット気流とは?
高度8000m~13000mを吹く偏西風の事。世界気象機関WMOでは、「風速30m/s以上の強い風」と定義されている。主に北緯30度付近の、亜熱帯ジェット気流と北緯40度付近の寒帯前線ジェット気流があります。
亜熱帯ジェット気流は、西から吹く途中ヒマラヤの影響を受け、南北二手に分かれます。
このうち南側のジェット気流が、日本に近づくときには梅雨となります。
日本に梅雨が無ければ、水が不足するだけでは無く、農業や漁業に大きな影響が出る為、日本に住む私たちは、日々の生活においても知らず知らずのうちに、ヒマラヤの恩恵を受けていると言えるのです。
平地の沸点と比較
空気密度を比較
?
凧が上がらない?
高度が上がると空気密度が下がることを体感すべく、竹内洋岳が実際に実験しています。1995年竹内洋岳にとっての14座初登頂時のマカルー(8463m)の山頂で凧あげを試しましたが、グルグル回るばかりで、下方向にばかり落ちたといいます。
?
6000mを越すとヘリコプターで救助に行くことができない?
ヘリコプターの最大運用高度は6000m前後と言われています。
高度6000mになると、空気密度が平地の6割程度に下がります。
ヘリコプターが飛ぶ仕組みは、エンジンでローター(プロペラ)を回して飛ぶのですが、空気密度が下がると、空気がスカスカになってしまい、いくらプロペラを回しても揚力が得られず、浮かび上がらなくなります。空気密度の低い高所でヘリコプターを飛ばすためには、エンジンの出力を上げ、ローターの回転数を上げるのですが、空気密度が下がると、それだけエンジンに取り込む空気も減ってしまい、出力が上がらなくなってしまうのです。
これ以上ヘリコプターが上がる事ができない高度が高度限界です。また、空気密度は、気温によって変化し、気温が低い方が空気密度が高くなるため、朝方の方がより高く飛べるそうです。
例外的な事例としては、2005年5月14日にユーロコプター社のテスト・パイロット、ディディエ・デルサーユ氏の操縦するAS350B3ヘリコプターが、エベレスト山頂への着陸を成功させました。しかし、これはあくまでチャレンジ的に行われた飛行であり、性能や天候のコンディションが全て揃わなければ常にその高度まで行けるものではありません。
つまり、安全にヘリコプターが飛行できる最高高度が6000mと言う訳です。
?
参考
沸点と、風圧について、竹内洋岳が現地で実験してみました。
2010年10年29日投稿:竹内洋岳ブログ「中途半端に実験クン!」
冬季世界初登頂者
1 | エベレスト | 8848m | 1980年2月17日 クシストフ・ヴィエリツキ レシェック・チヒ |
---|---|---|---|
2 | マナスル | 8163m | 1984年1月14日 マチェイ・ベルベカ リシャルド・ガエフスキ |
3 | ダウラギリ | 8167m | 1985年1月21日 イェジ・ククチカ アンジェイ・チョク |
4 | チョ・オユー | 8201m | 1985年2月12日 マチェイ・ベルベカ マチェイ・パフリコスキ |
5 | カンチェンジュンガ | 8586m | 1986年1月11日 イェジ・ククチカ クシストフ・ヴィエリツキ |
6 | アンナプルナ | 8091m | 1987年2月3日 イェジ・ククチカ アルトゥール・ハイゼル |
7 | ローツェ | 8516m | 1988年12月31日 クシストフ・ヴィエリツキ |
8 | シシャパンマ | 8027m | 2005年1月14日 ピオトル・モラフスキ シモーネ・モーロ |
9 | マカルー | 8463m | 2009年2月9日 シモーネ・モーロ デニス・ウルブコ |
10 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m | 2011年2月2日 シモーネ・モーロ デニス・ウルブコ コートニー・リチャーズ |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m | 2012年3月9日 アダム・ビエレツキ ヤヌシュ・ゴロヴ |
12 | ブロードピーク | 8051m | 2013年3月5日 マチェイ・ベルベカ アダム・ビエレツキ トマス・コワルスキ アルトウール・マレク |
13 | ナンガパルバット | 8126m | 2016年2月26日 シモーネ・モーロ アレックス・ティコン アリ・サドパラ |
14 | K2 | 8611m | 2021年1月16日 ニルマル・プルジャ、ミンマ・G・シェルパ、ソナ・シェルパ、ミンマ・デビッド・シェルパ、ミンマ・テンジ・シェルパ、ゲルジェン・シェルパ、ペム・チリ・シェルパ、ダワ・テンバ・シェルパ、ダワ・テンジン・シェルパ、キル・ペンバ・シェルパ |
8000m峰14座全山登頂者
「14サミッター」とは?世界最高峰のエヴェレスト(8848m)を筆頭に、地球上に存在する標高8000mを超える山は全14座あり、8000m峰14座の完全登頂者を『14サミッター』と呼びます。
世界初の14サミッターは、有名なイタリア人登山家のラインホルト・メスナーであり、1986年にその偉業を成し遂げました。
順位 | 全山無酸素順位 | 名前 | 達成年 | 国籍 |
---|---|---|---|---|
1 | 1 | ラインホルト・メスナー | 1970-1986 | イタリア |
2 | イェジ・ククチカ | 1979-1987 | ポーランド | |
3 | 2 | エアハルト・ロレタン | 1982-1995 | スイス |
4 | カルロス・カルソリオ | 1985-1996 | メキシコ | |
5 | クシストフ・ヴィエリツキ | 1980-1996 | ポーランド | |
6 | 3 | フアニート・オヤルサバル | 1985-1999 | スペイン |
7 | セルジョ・マルティーニ | 1976-2000 | イタリア | |
8 | 朴英碩(パク・ヨンソク) | 1993-2001 | 韓国 | |
9 | 厳弘吉(オム・ホンギル) | 1988-2001 | 韓国 | |
10 | 4 | アルベルト・イニュラテギ | 1991-2002 | スペイン |
11 | 韓王龍(ハン・ワンヨン) | 1994-2003 | 韓国 | |
12 | 5 | エド・ベスターズ | 1989-2005 | アメリカ |
13 | 6 | シルヴィオ・モンディネッリ | 1993-2007 | イタリア |
14 | 7 | イバン・バレーホ | 1997-2008 | エクアドル |
15 | 8 | デニス・ウルブコ | 2000-2009 | カザフスタン |
16 | ラルフ・ドゥイモビッツ | 1990-2009 | ドイツ | |
17 | 9 | ベイカー・グスタフッソン | 1993-2009 | フィンランド |
18 | アンドリュー・ロック | 1993-2009 | オーストラリア | |
19 | 10 | ジョアン・ガルシア | 1993-2010 | ポルトガル |
20 | ピョトル・プステルニク | 1990-2010 | ポーランド | |
21 | エドゥルネ・パサバン | 2001-2010 | スペイン | |
22 | アベーレ・ブランク | 1992-2011 | イタリア | |
23 | ミンマ・ツェリン・シェルパ | 2000-2011 | ネパール | |
24 | 11 | ゲルリンデ・カルテンブルンナー | 1998-2011 | オーストリア |
25 | ヴァシリー・ピフツォフ | 2001-2011 | カザフスタン | |
26 | 12 | マクスト・ジュマイエフ | 2001-2011 | カザフスタン |
27 | キム・ジェスー | 2000-2011 | 韓国 | |
28 | 13 | マリオ・パンツェリ | 1988-2012 | イタリア |
29 | 竹内洋岳 | 1995-2012 | 日本 | |
30 | チャン・ダワ・シェルパ | 2001-2013 | ネパール | |
31 | 14 | 金昌浩(キム・チャンホ) | 2005-2013 | 韓国 |
32 | ホルヘ・エゴチャガ | 2002-2014 | スペイン | |
33 | 15 | ラデック・ヤロス | 1998-2014 | チェコ |
34/35 | 16/17 | ニベス・メロイ | 1998–2017 | イタリア |
34/35 | 16/17 | ロマーノ・ベネット | 1998–2017 | イタリア/スロベニア |
36 | ピーター・ハモール | 1998–2017 | スロバキア | |
37 | 18 | アジム・ガイチェサズ | 2008–2017 | イラン |
38 | フェラン・ラトーレ | 1999–2017 | スペイン | |
39 | 19 | オスカル・カディアチ | 1984–2017 | スペイン |
40 | 金未坤(キム・ミゴン) | 2000–2018 | 韓国 | |
41 | サヌ・シェルパ | 2006–2019 | ネパール | |
42 | ニルマル・プルジャ | 2019–2019 | ネパール | |
43 | ミンマ・シェルパ | 2010–2019 | ネパール |
世界の14サミッター43人
うち、全山無酸素登頂者19人
6座以上の日本人登頂状況
(2019年時点)登頂数 | エベレスト | K2 | カンチェンジュンガ | ローツェ | マカルー | チョ・オユー | ダウラギリ | マナスル | ナンガパルバット | アンナプルナ | ガッシャブルムⅠ峰 | ブロードピーク | ガッシャブルムⅡ峰 | シシャパンマ | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
14 | 竹内 洋岳 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |
9 | 山田 昇 | 故人 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||
9 | 名塚 秀二 | 故人 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||
9 | 田辺 治 | 故人 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||
9 | 近藤 和美 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||
8 | 加藤 慶信 | 故人 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||
8 | 谷川 太郎 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||
7 | 山本 篤 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||||
7 | 北村 俊之 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||||
7 | 尾崎 隆 | 故人 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||
7 | 渡邊 直子(女性) | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||||||||
6 | 宮崎 勉 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
6 | 後藤 文明 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
6 | 三谷 統一郎 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
6 | 高橋 和弘 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
6 | 天野 和明 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
6 | 平出 和也 | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
竹内洋岳の連続登頂生存率
(1994-2012) ※死亡者数/登頂者数として集計した場合5 | マカルー | 8463m |
90.9% |
---|---|---|---|
1 | エベレスト | 8848m |
88% |
2 | K2 | 8611m |
67.8% |
9 | ナンガパルバット | 8126m |
53.8% |
10 | アンナプルナ | 8091m |
39.6% |
11 | ガッシャブルムⅠ峰 | 8068m |
35.8% |
14 | シシャパンマ | 8027m |
32.6% |
3 | カンチェンジュンガ | 8586m |
28.5% |
8 | マナスル | 8163m |
27.1% |
13 | ガッシャブルムⅡ峰 | 8035m |
26.5% |
12 | ブロードピーク | 8051m |
24.3% |
4 | ローツェ | 8516m |
23.6% |
6 | チョ・オユー | 8201m |
23.3% |
7 | ダウラギリ | 8167m |
19.8% |
世界最高峰エベレスト
登頂の歴史と成り立ち世界最高峰として名高いこの山が、インドの測量技師による計測の結果、まさに「世界最高峰」であることが判明したのは1852年のこと。しかしこの山の所在地であるネパール、及びチベットは当時、鎖国状態にあり、容易に立ち入ることのできない状態にありました。
ゆえにこの山の現地名は調査できず、しばらくは正式名称のないまま「ピークXV」の仮称で呼ばれていましたが、やがてインド測量局長官として長年の実績のあった、サー・ジョージ・エベレスト(Sir George Everest, 1790年7月4日 – 1866年12月1日)の名を冠することが提案され、1865年、その発見者であるインド測量局の見解としても「エベレスト」の名で正式に決定、採用されることになりました。
以降は、その名で広く世界に知れ渡るようになりましたが、数十年の時を経て、実はチベットの現地民族の間に古くから、チベット語で「世界の母神」を表す「チョモランマ」との呼称があったことが分かってきました。また、それに呼応するように、もう一方の所在地のネパールでも、ネパール語で「世界の頂上」を意味する「サガルマータ」との呼称が提案されるようになったのですが、既に「エベレスト」の名で世界的にも広く知れ渡っていたことから、インド測量局としても山名の変更をするには至っておらず、現在は世界的に有名な「エベレスト」の名称を筆頭に、3つの山名が並存したままの状態となっています。
日本とエベレストの比較
東京都 千代田区北の丸公園 |
富士山 | エベレスト | |
---|---|---|---|
標 高 | 25m | 3776m | 8848m |
平均気温 | 16.5℃ | -6.2℃ | -36℃ |
気 圧 | 1011.2hPa | 637.8hPa | 300hPa |
沸 点 | 100℃ | 87℃ | 70℃ |
最大風速 | 76.7m/s1938/9/1 | 90.0m/s1966/9/25 台風26号 | 78.2m/s2004/2/6 |
平均風速 | 2.9m/s | 12.0m/s | 計測不可 |
初登頂年 | - | 663年? | 1953年 |
初登頂者 | - | 役 小角(伝説) | エドモンド・ヒラリー テンジン・ノルゲイ |
エベレスト登頂者数
(1953-2019)国別エベレスト登頂者数
(1953-2019)?
シェルパって何?
シェルパは、ヒマラヤ山脈の現地人登山ガイドのことを指し、2020年現在においてはその職業名の事になっています。
元々は、チベットを含むヒマラヤ地域に住む高山民族「シェルパ族」を指していました。シェルパ族は、高地に順応した体を持つため、20世紀に入り、外国人のヒマラヤ登山において、荷物運びのポーターとして雇われるようになり、その後、登山技術を身に着け、案内人としても雇われるようになり、シェルパ = 案内人(現地人ガイド)と言う意味合いが定着していきました。
かつて日本においても、富士山や立山で「強力」(ごうりき)あるいは「剛力」と呼ばれる、背負子でたくさんの荷物を運ぶ案内人達が登山を支えていた歴史があります
日本人エベレスト登頂者数
(1970-2019)- Supervisor:Hirotaka Takeuchi
- Planning&Editor:Tomonori Toda
- ArtDirector&Design:Chihiro Arakawa
最終更新2021年2月
改善点などお気づきありましたら、ご連絡いただけますと幸いです。