下山の哲学

―登るために下る
竹内洋岳
構成=川口穣

日本山岳史上初の下山ドキュメント本
竹内洋岳
『下山の哲学—登るために下る』
(太郎次郎社エディタス)
世界8000m峰14座の全下山を辿る
日本初のノンフィクション書籍

日本人唯一の世界8000m峰14座完全登頂を達成したプロ登山家・竹内洋岳は、書籍『下山の哲学—登るために下る』を2020年10月30日(金)に太郎次郎社エディタスより発売。

「下山の哲学――登るために下る」カバーイメージ

尚、本書籍は、世界8000m峰14座に登った竹内洋岳自身の全下山を辿る、日本山岳史上初の下山をテーマにしたノンフィクション書籍です。これまで、登る事ばかりを主題とした山岳書が出版されてきましたが、本書籍では業界初となる8000m峰14座の全下山をテーマにし、登頂に成功した下山だけでなく、登頂出来なかった下山についても収録しています。

  • 日本人で唯一8000m峰14座を完全登頂した14サミッターにとっての下山とは?
  • 17年にわたる14座の全下山をたどり、現在に続く新たな挑戦を報告する。
  • 本人を深く知る6人へのインタビューをとおして竹内洋岳を「解剖」するコラムも収録。

『下山の哲学——登るために下る』ができるまで

下山ドキュメント制作という未踏峰を登る

登山のはじまり

EPISODE:1/11

竹内洋岳が選考委員をつとめるジャパン・アウトドア・リーダーズ・アワード(JOLA)の授賞式の会場にて、竹内と編集者・漆谷が初対面を果たす。漆谷にとってはかねてよりの希望だった。

漆谷から本について尋ねられ、「私は、小学生のころに読んだ探検家の本と、世界の秘境を紹介する本にあった『ヒマラヤ』に導かれて登山家になりました」
こう語りつつも、竹内はこの時点ではまだ本の出版を具体的に考えているわけではなかった。後日、竹内はつぎのように明かしている。
本を出したいという依頼は、いろんなところから、たくさん来るんです。いつもどこまで本気なのかなーて思ってしまう。具体的なイメージもなく、なんか面白い本作りましょうって提案だけされて、まあ、そのうちやりとりもなくなってしまう。今回の話もそう思ってました。

一方、編集者は、「世に出ている登山の本や映像では、ほとんど『下山』が省略されている。登頂がクライマックスとはいえ、体力をかなり失ったあとに登頂までと同じ距離を歩く下山には、多くのドラマがあるはずなのに、なぜだろう」という疑問を抱えていた。 日本で唯一の14サミッターである竹内が、すべての下山を明らかにする本はどうか。成立すれば、類のない記録が生まれるのでは――?

編集者から竹内へ。「下山に焦点をあてた本」の企画の提案。この時点では、14サミットからの下山ルポに加えて、竹内洋岳流の下山術を盛り込んだ内容が提案されていた。 竹内から編集者への返信。
以前は、本は書くものと思っていましたが、14座を機会に本を出すことを経験して、本は、多くの人たちといっしょにつくりあげていくものであることを知りました。本がつくられていく時間をいっしょに過ごせたら、きっと、楽しいことでしょう。
おっしゃるとおり、登山は、登頂までしかとりあげられないことが多く、肝心の下山が語られることがありません。
14座のときにNHKで番組をつくるさい、私がNHKに出した条件が3つありました。
1つは、ルート上で私より先に出ないこと
2つ目、登山が失敗しても、私が死んでも、番組にすること
3つ目、下山までを番組にすること
下りてこなければ、登頂になりませんからね。
とくに、14座は、14回登頂して、14回下山してきたことに意味があります。登頂後の下山中に死んでも「登頂」ですが、最低でも13回は下りて来なければ、14座は登れません。
もちろん、何を題材に本をつくるかは、これから相談していきましょう!

入ったスイッチ

EPISODE:2/11

はじめての打ち合わせ。竹内の地元、神保町の喫茶店「さぼうる」にて。甘党の竹内のススメで生ジュースを注文して、スタート。
この日の竹内は、首元にサングラスを下げ、手には複数の指輪。長髪ともあいまって、およそ山男のにおいを感じさせなかった。
打ち合わせは、登山知識の乏しい編集者への講義のようなかたちで進む。日本の登山の歴史や現代の登山など、縦横無尽な山の話題が展開される。

具体的な下山技術を入れたいとの提案を竹内は、「そんなものは本なんかで学びません」と一蹴する。

話は盛り上がったが、本づくりの核心に迫る質問をしても禅問答のように「煙に巻かれる」瞬間が多く、編集者からみた竹内の印象は、足がかりさえつかめない巨大な岩壁のようだった。

当時をふり返って竹内は言う。
この時点でも、かなり疑ってかかっていました。
これまでに出版してきた本の焼き直しか抜粋のような提案に感じ、 楽に安上がりに本を作ろうとしているんじゃないか?とも感じ、どこまで、私のことでだけでなく、登山そのものに関心があるか試していたのかもしれませんね。

竹内の事務所にて、2回目の打ち合わせ。
何十本もの古いピッケル、14座初登頂に関する本、ヒマラヤで見つけた石、黒曜石、腕時計、釣り道具、カメラ……。竹内の事務所は、興味をそそられるモノであふれている。そのすべてに、山にまつわる歴史や竹内自身の登山のエピソードがつまっている。

「冒険」と「探検」の違いに話がおよぶ。竹内はみずからの挑戦は探検であると言う。いまやってみたい探検は、河口慧海とスヴェン・ヘディンの旅の足跡を、最先端の技術を使ってたどるというもの。壮大な夢の話になったが、「下山」からは遠ざかっていく。

編集ライターの川口穣に、編集チームへの参加を依頼。川口は『AERA』の記者で、元・山と溪谷社の編集者。山好きとして、個人的にも竹内の活躍を追いかけてきた。その竹内の下山の書には強く惹かれるとのこと。小細工をせずに、竹内が14座すべての下山をふりかえり、現在の挑戦について伝える本をめざそうと話す。

編集者から竹内へ、川口とともに取材を再開したい旨をメール。
竹内の返信には謎の一文が。「ただいま、ヨドバシカメラ本社勤務なのです」。

3回目の打ち合わせ。新宿のヨドバシカメラ本社のミーティングルームにて。
白いワイシャツに社員証をぶら下げた竹内が登場。この格好で、ほんとうにデスクワークをしているそうで、「落ち着かない」と苦笑いしていた。

竹内と川口が挨拶を交わす。山岳雑誌出身の川口が編集チームに参加することで、竹内が本づくりを始動する環境が整った。以降、川口はパートナーとして、竹内との信頼関係を築いていくことになる。

編集チームから新しく示された構成案を見た竹内は、こう感じていた。
これなら、いままでにない新しい本が出せるのかもしれないと思い始めていました。
それまでは、なんとか私に本を書かせよう、私にやらせようという説得のようにも感じていましたが、 いろいろな分野のプロが集まってチームが作られたことで、皆の知恵と手で一冊の本を作り上げていこうという想いを感じていました。

竹内からつぎつぎとアイデアが出される。
「どうせなら、登頂の瞬間からのみの下山を語る本にしましょう」
「身体のこと、登山家としての特徴、道具への考え方といったことから竹内洋岳という対象を掘り下げるなら、私が語るよりも、私をよく知る人たちにインタビューして語ってもらったほうがおもしろくなりそうですよね」
多角的に自身を「解剖」するというコラムの方向性も見えてきた。

「プロ登山家」としてのあり方に話がおよんだとき、竹内は言った。
「『プロ』といっても、最初からプロだったわけはなく、失敗もしながら続けてきました。 本を出すような有名なクライマーであっても、登頂という成功だけを見せて、失敗をちゃんと説明しない人もいるでしょう。 自分はそんな失敗も隠さずに見せて、多くの人の参考にしてもらえるような本をめざしたい」

デザイナーの新藤岳史に装丁デザインを依頼する。川口と同じく、新藤もみずから登山を楽しむ。依頼のメールを受けとった新藤から編集者に興奮しきりの電話。もちろん快諾。夫婦そろって竹内のファンだという。「下山という切り口もいいですね。すでに読みたいです」とも。そんな新藤から見た竹内の印象は「クールな学者」。

竹内から編集者へ。「石井スポーツを退職して、ハニーコミュニケーションズに所属した」との報告。

BCまでの道のり

EPISODE:3/11

具体的な原稿執筆のためのインタビュー1回目。竹内の事務所にて。

取材内容:

  • 「竹内洋岳にとって下山とは何か」
  • 「1991年シシャパンマ」
  • 「1995年マカルー(1座目)」
  • 「1996年エベレスト(2座目)」

竹内は、過去の登山を驚くほど細密に記憶しており、ほとんど瞬時に思い出すことができる。また、登山報告書、ブログ、支援者向けのレポートと、竹内の登山にかかわる膨大な資料を読みこんだうえでインタビューに臨んだ川口の質問によって、竹内本人が意識していなかった記憶もつぎつぎに引きだされていく。おかげで、詳細な記述が期待できそうだ。

取材後、編集チームでインタビュー内容をふり返る。これはおもしろい本になると感じる一方で、まだ下山の話が薄い印象もある。はたして下山だけで成立するのか。

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竹内、ネパールへ。いちご農園への農業支援と、翌年5月に予定しているエべレスト登山の準備。エべレストのためのヒマラヤ入りは3月だという。それまでに原稿をどこまで進められるか

竹内の事務所にて、2回目のインタビュー。この回から、いろんな種類のコーラを編集者が差し入れ持参(竹内は無類のコカ・コーラ好き)

取材内容:

  • 「1996年K2(3座目)」
  • 「2001年ナンガ・パルバット(4座目)」
  • 「2003年カンチェンジュンガ(敗退)」
  • 「2004年アンナプルナ(5座目)」
  • 「2004年ガッシャーブルムI峰(6座目)」

聞いているだけでクラクラするほど壮絶な下山体験の数々が語られる。やはり下山にはドラマがつまっている。
竹内は、たまにコーラを飲んだりトイレに立ったりするくらいで、10時から13時までの3時間、ほぼぶっとおしで話しつづける。話のペースはまったく変わらず、スイッチが入ったときの集中力の高さ、タフさを見せつけられる。

竹内から、ぜひ、こんどデザイナーの新藤さんといっしょにいらしてください、と提案がある。

竹内の事務所にて、3回目のインタビュー。新藤が、編集チーム(川口・漆谷)とともに参加。

取材内容:

  • 「2005年シシャパンマ(7座目)」
  • 「2005年エベレスト(敗退)」
  • 「2006年カンチェンジュンガ(8座目)とローツェ(敗退)」
  • 「2007年マナスル(9座目)」

まさに下山は「生還」というほかない事実にくわえ、14サミッターへの、またプロ登山家への思いが芽生えた瞬間のエピソードがくわしく語られる。

デザイナーの新藤と竹内とは、この日が初顔あわせとなった。新藤にとっては本の方向性をつかんでデザインを考えるうえでも、また竹内ファンとしても願ってもない機会となり、竹内は新藤からの質問にもひとつひとつていねいに答えていた。

竹内の事務所にて、4回目のインタビュー。

取材内容:

  • 「2007年ガッシャーブルムII峰(敗退)」
  • 「2008年ガッシャーブルムII峰(10座目)」
  • 「2008年ブロード・ピーク(11座目)
  • 「2009年ローツェ(12座目)」

2007年の雪崩事故以降の、もっとも過酷な下山の話。竹内はいつもと変わらず、淡々と話していた。

「結婚や子どもの誕生によって、登山への恐れが出たりしませんでしたか?」と質問。竹内は、なぜそんなことを聞くのかというような不思議そうな表情を浮かべたあと、「ありませんね。山とのつきあいのほうが長いですから」とひと言。編集チームは苦笑い。

このころから、新型コロナの影響がいろいろなところに出はじめる。

竹内の事務所にて、5回目のインタビュー。

取材内容:

  • 「2010年チョー・オユー(敗退)」
  • 「2011年チョー・オユー(13座目)」
  • 「2012年ダウラギリ(14座目)」

14座目までのインタビューを終える。登山の意味や、まもなくはじまるエベレスト登山への思いも語られる。

ルート工作1

EPISODE:4/11

インタビューを原稿にしていく作業が本格化。本づくりを登山にたとえるなら、いよいよBC出発というところ。

一方、竹内のエベレスト挑戦は、新型コロナにより厳しい状況に追いこまれていた。
当時の心境について竹内は語る。
本来は、植村直己さんと松浦輝夫さんが日本人として初めてエヴェレストに登頂して50周年を記念して、私自身がエヴェレストに登頂する計画を立てていて、まもなく出発の予定でした。
その出発の前までに、原稿をまとめておく予定でしたが、残念ながら新型コロナにより登山を中止することにし、 登山に費やす予定だった時間と思考を本につぎ込もうと思いました。また、これまでの直接集まっての制作ができなくなり、オンラインでの制作は、 紙に文字で書かれる古典的でアナログな本を、現代の最新の手法やデジタルを駆使して作って行く様子は、 非常に面白く、海外や山にいかず、在宅だからこそ、集中して取り組めました。

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編集チームは、竹内に再取材をして下山の話をさらに充実させる改善策を確認しあう。
エべレスト登山断念後はじめて竹内にメール。現状を報告しつつ、竹内について第三者に語ってもらうインタビュー(コラム)の候補者について相談したい旨を伝える。
このころから編集チームはテレワークに入る。

竹内からは、インタビュー候補として、柳下和慶(主治医、東京医科歯科大学)、ラルフ・ドゥイモビッツ(クライマー)、中島健郎(山岳カメラマン)、釣巻健太郎(シューフィッター)、牛山和人(カシオ、登山用腕時計開発者)、猪熊隆之(山岳気象予報士)が挙げられる。取材申し込みを進める。

緊急事態宣言の発令を受け、柳下に取材延期を連絡。4月22日に、竹内がよく治療で通った東京医科歯科大学の高気圧治療部でインタビューする予定だった。宣言の解除を待つことに。

竹内がTwitterで「妄想エヴェレスト登山」をスタート。リアル登山をコロナに阻まれた竹内が挑んだ登山史上初の試み。
準備してきた50周年記念の登山が新型コロナウイルスで中止になってしまったことが、悔しくてなりませんでした。しかも中止の理由が目に見えない実体の明らかではないウイルスだと思うと余計に腹が立つ。 実体のないものに邪魔をされたのなら、実体のない「妄想」で立ち向かってやろうと思ったのです。 妄想で、エベレストに登頂してやろうと。

世界初!「妄想エヴェレスト登山」

中島健郎から取材快諾の返事。ただし、現在ネパール滞在中で、コロナの影響で国際線が飛ばず、帰国のめどが立っていないとのこと。

竹内の妄想エヴェレスト、無事BCまで下山。

世界初!「妄想エヴェレスト登山」

Zoomにて、6回目のインタビュー。
ここまでの原稿でとくに下山に関する内容が不足している箇所について。

取材内容:

  • 「1996年K2、2001年ナンガパルバット(下山について)」
  • 「2006年カンチェンジュンガとローツェ(下山メインで通して)」
  • 「2008年ブロードピーク(落石について)」
  • 「2004年ガッシャーブルムI峰(荷下げについて)」

とくにカンチェとローツェについては、ほぼ未発表の濃い下山話を掘り起こすことができ、大収穫だった。これで、竹内の足跡をよく知る読者にとっても新鮮味のある本にできる。

この打ち合わせによって、本編に入る14座すべての内容がそろった。ついに頂上が視界に入ってきた。

ルート工作2

EPISODE:5/11

この日から、コラムの原稿づくりを開始。
中島健郎(山岳カメラマン)への編集チームによるインタビュー。Zoomにて。日頃、週刊誌記者として活動する川口は、すっと相手の懐に入りこみ、必要な情報をテンポよく聞きだしていく。

取材内容:

  • 登山パートナーとしてみた竹内洋岳の「強さ」
  • 登山中の判断について、竹内とどんな議論をするのか。竹内と中島さんの登山家としての「違い」
  • チョ・オユー1回目で「引き返す」判断をした際のエピソード
  • ダウラギリを登頂できなかった際の思い
  • 麦わら帽子について

など。

中島のことばから、パートナーとしての竹内洋岳像や竹内の下山観が浮かびあがる。
「すべてに準備ができていて、慣れすぎていて、いっしょにいて絶対的な安心感がある」「退路を断たない。つねに帰り道を探っている。下り方を知っている」「また来ればいいって言われて、たしかにそうだなと」「ひき返したり、判断をするときの表情は有無を言わさない厳しさがある」

いつも淡々としている竹内が感情的になった場面はと聞くと、「車で移動中のとき、暴走車にかなり怒って怒鳴ってた、あれは怒ってましたねえ」とのこと。

中島は低音のいい声の持ち主。竹内の「……いや、まだ待つ……」というモノマネを披露、雰囲気がとても似ていた。

柳下和慶(医師)へのインタビュー。Zoomにて。

取材内容:

  • 高所での竹内の強さ――高度順化のスムーズさの理由
  • 雪崩事故後の肺機能
  • 「山男」というイメージからは遠い体型の合理性

など。

竹内の身体について。
「心肺機能も筋肉量も一般的な成人男性よりもとくにすぐれていないが、ひとつだけ、酸素を運ぶ血液中のヘモグロビン値があきらかに高い。そこが高所での強さの秘密かもしれない」「執刀した新井先生いわく、しっかりした骨でした、と」

印象的だったのは、竹内の人となりについて尋ねたときの柳下の表情とことば。「ひと言ではいえないなー」と笑ったあとで、ゆっくりとことばを探す。
それから、ひとつひとつ、うなずきながら「明確な目標に対する自信がある」「話をしていてバランスがいい。自分の世界に入りすぎないで、あぶないものはあぶないと言ったり、こだわりすぎない」「違う世界をつくってやるというスマートな野心家」などと表現。

雪崩事故のあと、竹内が入院する病院に、子どもを連れて見舞いにきた妻が「危ないですよねー、でも登っちゃうんですよねー」と淡々とされていたことも記憶に残っているとのこと。「医師と患者はあまり親しくつきあわないんですが、めずらしいですよね」とも。

猪熊隆之(山岳気象予報士)へのインタビュー。Zoomにて。

取材内容:

  • 竹内の挑戦中の予報サポートの際は実際にどのようなやり取りをしていたのか
  • 自身の登山経験を予報にはどう生かしているか
  • 天気図からは見えない「勘」のようなもので竹内のすごさを感じたことはあるか
  • 竹内をサポートした予報士として最もうれしかったこと
  • (竹内とのサポートに限らず)予報士として後悔したことなどはあるか

など。

   

「竹内さんには絶対的に信じてもらっているので緊張する。幸いにも予報は失敗していない」「竹内さんは天気にくわしい。こちらから聞かなくても向こうから予報に必要な情報をくれる」「ほかの登山家と違って、自分の都合で動かない。自然にあわせる。その日にかならず体調をあわせ、予定をずらさない」

理路整然と、息をつくまもない勢いでこちらの求める情報をくりだす猪熊も、「竹内の人となりは?」の質問には穏やかな表情に。
「つかまえようとすると違う面が見えてくる。つかまえどころがないというか、飄々としてますよね」「つねにアイデアがあって、前向きで、みんなを楽しませようとしてくれます」「私の闘病中、ズーラシアに連れていってくれたんです、男ふたりで」と笑顔で話す。

牛山和人(登山用腕時計開発者)へのインタビュー。Zoomにて。

取材内容:

  • 竹内が時計に求めていたのはどんなことか
  • 竹内モデルの開発で最も苦労したこと
  • 「薄型化」「アナログ化」の意味と技術的な挑戦
  • 竹内は時計集めが趣味のようだが、開発に当たって「この人時計好きだな」と感じたエピソードはあるか

など。

歴代の登山用腕時計、PRO TREKを画面ごしに見せてもらいながら話を聞く。
  「『分厚すぎたので首からぶら下げて高度計として使いました』と竹内さんに言われたことで、カシオの売りだった2層の液晶をやめたんです」「『私がPRO TREKに8000mを経験させます』と。説得力がありますよね」

   

竹内の時計好きに話がおよぶと、「あんなに時計好きの竹内さんが登山にはPRO TREKしかつけていかないんです。これはたいへんなことです」と力をこめて語った。

プライベートでのつきあいもある牛山は、プロ登山家・竹内の意外な面も明かす。
「登山というよりは、私は沢登りしながらの渓流釣りのパートナーですね。そんなとこまで行って帰れるの? というとこまで行かれるんですが、ちゃんと帰れますね。いや、これは遅れることもあったかも(笑)」

釣巻健太郎(シューフィッター)へのインタビュー。Zoomにて。

取材内容:

  • 竹内の足について。幅広なのか狭いのか、甲は高いのか低いのか。左右の足のサイズ、土踏まずの形や指の長さなどに何か特殊な点はあるか。事故前後などで足に変化はあったか(竹内はこれまでできなかった場所にマメができるようになったと言っていたが、そのことで靴のセッティングを変えたりすることはあったか)
  • 竹内は「私の靴は釣巻さんにしかさわらせない」と言っているが、なぜそこまで信頼を寄せられているか

など。

   

「竹内さんは足首がすごく細い。細いと成形が難しくなる」「ほかの人とくらべてリクエストが明確。常人離れしたリクエストをしてくる」「同僚だったこともあって軽く引き受けていたけれど、最初の登山から帰ってきたとき『凍傷にならなくてよかったよ』と言われて、オレのせいで登れなかったら? ヤベー……と。毎回オレでいいんすか? と聞いてます」「わざわざ遠方に来てもらってつくったときはハラハラします」などなど。

「竹内の登山家としてのすごさは?」という質問に対して。
  「これは、ファンの人たちの夢を壊してしまうかもしれないんですが……。つきあってみたら、わかりますよね? 登山家って、例外なくみんなゴリゴリしてるのに、竹内さんはアスリート感も山屋感もまったくなくて、見た目は哲学者とか心理学者っぽいし、主食はカロリーメイトとか平気で言ってるし、クライミングとかトレーニングとかもしてないし。靴だけじゃなくピッケルとかの道具づくりはストイックですけど。でも、そんなんで8000m登っちゃう。登山家のイメージを覆す人じゃないですかね」

率直な釣巻のことばは、編集チームの感じていた竹内のもつ不思議な魅力を明確に言語化してくれるものだった。

1本目の原稿が上がってから3か月半、ついに本編18本すべての第1稿がそろう。登山で言えば、頂上までのルートが決まり、これからサミットプッシュというところか。

ファイナルキャンプにて

EPISODE:6/11

ラルフ・ドゥイモビッツ(クライマー)へのインタビュー。英語通訳者として、登山経験者でラルフや竹内の活躍を知る八尋大輔も参加し、Zoomにて。

取材内容:

  • 2001年、ナンガパルバット登山のさいの竹内の印象
  • 2003年、カンチェンジュンガ登山に竹内を誘った理由
  • 2005年、エベレストのときのこと
  • 2007年のガッシャーブルムでの事故後、2008年にネパールであったときの竹内のようすをどう感じたか
  • 2008年、ローツェでの竹内の登山は何か変わっていたか
  • 登山家としての竹内の強さと弱さ
  • 多くの山をともに登ったラルフ、ガリンダ(・カールセンブラウナー)、竹内の3人にとって「14座」とはどういうものか
  • ラルフにとって下山とは何か

など。

冒頭の挨拶で「ラルフと呼んでください」と声をかけ、編集チームの緊張をほぐしたラルフ。じっくりと考えて、慎重にことばを選び、こちらの質問にしっかりとていねいに答える。たいへんな気づかいの人。
インタビューは2時間におよんだ。取材開始から1時間がたったときに「お時間だいじょうぶですか」と尋ねると、「もちろん。あなたたちと話をするのはとても楽しい。いい本をつくることに参加できてうれしい」と言ってくれた。

インタビューの最後に、ラルフにとっての下山とは何かを尋ねた。
「もっとも重要なことなのに、だれも語ろうとしない。私はいつも、BCにもどってきたときに登頂の報告をしている」。竹内の考えと共鳴し、この本の主題を表現しているともいえる返答だった。

デザイナーの新藤から、本文のデザイン案が届く。各節の冒頭に山のモノクロ写真をあしらい、見出しの見せ方などもふくめ、全体にソリッドでシャープなデザイン。ここからさらに、「下山」「冒険」の世界観を出していくことで一致。カバー・表紙だけでなく、本文のレイアウトにいたるまで、すべて新藤の手によって形にされていく。

コラムをのぞく本編の初校が上がる。

難所の出現

EPISODE:7/11

編集チームで初校について検討。課題について話し合う。
登山にかかわる時間や標高データが不足している。これでは切迫感や臨場感に欠けてしまう。
資料とともに、竹内の驚異的な記憶をあらためて掘り起こして、データを補足し、時間の変化を追えるようにすること。同時に、地図を入れて場所を把握できるようにすること。それらにあわせて文章も調整することで、改善できるのではないか。

川口がいかんなく本領を発揮して修正点を反映。求めていたものが具体化され、ひとつひとつの下山のテーマもぐっと色濃く感じられる。ホワイトアウトが晴れ間に変わっていく。

修正済みの初校2が上がる。 竹内が初校の検討に入る。

サミットプッシュ

EPISODE:8/11

初校についての打ち合わせ。Zoomにて、竹内+編集チーム。
竹内が新たな課題を挙げていく。
「読者の立場で考えると、竹内洋岳『初心者』にはおもしろい本でしょう。一方、『ヘビーユーザー』にとっては、全下山を通読できるよさはあるものの、知っている内容も多いので、新しさをどう打ち出すかが課題だと思います」
「各下山における時系列だけでなく、14座登頂までの17年間という時間の流れも感じられるように、年表のようなものも入れましょう」

目標の10月末に完成までもっていけるかという話になったとき、竹内がきっぱりと言った。
「感染対策をしたうえで、ひさしぶりにリアルで集まって、読みあわせをしながら一気に課題を解決していきましょう」
チームのリーダーとしての竹内がここにいた。

半年ぶりに、竹内の事務所での打ち合わせ。
今日は初校の前半を検討。前向きなものではあるが、たくさんの修正が必要なことを確認する。

新藤から、「もしあれば表紙のデザイン素材として使いたい」と言われていた、竹内の登山時の手書きノートが複数みつかる。デザイナーのアイデア帳のような、洗練された文字と添えられた絵で埋めつくされたページに目を奪われる。またひとつ、竹内の違う顔が見えてきた。

新藤と編集者で、カバーや表紙のデザインの相談。写真を使いたい。ただし、人物(竹内)メインではなく、竹内から見えている下山の風景を使いたい、という案がふたり同時に出てくる。問題は、そんな写真があるか、ということ。

10時から、竹内の所属するハニーコミュニケーションズのオフィスにて、編集会議と写真探し。 初校後半部の検討がハイペースで進み、すぐに「はじめに」と「終章」のためのインタビューに移る。本全体を定義づけるような、深くて濃い話がたくさん出た。

編集チームだけ昼食をとる。竹内はほんとうに昼を食べない。これまでの打ち合わせでも、10時スタートが多いが、手土産のスイーツやコーラは口にしても、昼を食べることはなく、ぶっとおしで4時間くらいのインタビューになってしまう。ふだんの生活にエネルギーは必要ないのだろうか。

新藤が合流して、いくつかの候補書名でデザインしたカバー案を提示。
「いちばんおもしろい」と竹内が選んだ書名は、「下山の哲学」だった。「ただ」と続ける。
「『哲学』でも悪くはないけれど、ほんとうに『哲学』しかないのでしょうか、代案を考えてみたいですね」
その場ではアイデアが浮かばず、1週間後くらいまでに、それぞれの案を持ち寄ることにする。

カバー用の写真は、イメージにドンピシャのものが見つかった。仮の写真を配した新藤のラフを見た瞬間、竹内が「ありますよ。あの写真を使っているのかと思ったくらいです」と言って見せてくれた。 中島健郎が撮った、壮大な雪山の風景の真ん中にぽつんとひとり下っていく竹内の写真。一同、見入ってしまうほど美しい。

この日のことを、竹内はふり返る。
今回、実力あるデザイナーの新藤さんに装丁をしていただくことも、私にとっては、本を出版する本気度を上げた大きな一因でした。
あの日は、どんなカバー案が出てくるのか、本当に楽しみにしていました。ラフデザインで使われていたサンプル写真が見覚えのある写真だったので、一瞬、驚いたのですが、次の瞬間、そっくりな別の写真だったことがわかり、さらに驚きました。
新藤さんのイメージは、まさに、私がダウラギリで見た光景と一緒だったのです。

本文で使う写真も、イメージどおりか、それに近いものがたくさん見つかる。これまでの竹内の本は、登山中の写真が少なかったので、特性のひとつになるはずだ。

竹内から、川口を中心にまとめていた6者のインタビューコラムをようやく読んだ、と連絡がある。6つの視点で「竹内洋岳像」を描くパート。
「通信簿と思って読みました。『優』と『不可』はなくて、オール『良』ってとこですか?」
いかにも竹内らしい感想だ。

10月7日の印刷所入稿まで、あと2週間。

下山開始

EPISODE:9/11

竹内から編集者へ。書名についてのメール。
……
「下山学」‥
どうかなーと。
……
「‥」とあるから、自信作ではないのかもしれない。
「~学」だと机上の書に見えてしまう恐れがあり、「哲学」との組み合わせで生まれる奥深さもなくなると感じる。やはり「下山の哲学」でいきたいと、編集者から竹内に伝える。
竹内からの返信。
……
まあ。
そうですよね~
でも、なんかイージーな感じが拭えないんですよ‥
帯書きを工夫するとかしないとダメなような。
……
竹内のそばでやりとりを見ていたハニーコミュニケーションズ代表の戸田に尋ねると、「最後の最後まで粘る人なんで。でも、この本はまさに『下山の哲学』って本なんだよなって言ってましたよ」とのこと。
帯書きを工夫しつつ『下山の哲学――登るために下る』でいく。

写真提供を依頼していた、竹内の友人でフィンランドが誇る世界的クライマー、ベイカー・グスタフソンから、快諾の返事が届く。メールはこう結ばれていた。
……
My only wish is to get hold of one book to my personal library.
……

夜、「妄想エヴェレスト登山」ウェブ報告会。会の最後に竹内は、『下山の哲学』のカバーデザインを見せながら、本づくりが大詰めを迎えていることを話した。入稿まで残り1週間を切った。

入稿まで、あと5日。
竹内の事務所にて、章扉のデザインに使う道具の撮影と再校の修正点の確認。竹内・新藤・編集者。

登山道具のほか、これまで話題に出ていた数々の「お宝」も撮影する。
撮影後、1時間強にわたり、十数か所の修正点について確認と検討。

残るは最後の仕事ですねと「おわりに」執筆を依頼する編集者に、不穏な笑みを浮かべた竹内が返す。
「書けるかなー。穴を開けてしまうかもしれませんよー」

ウェイティングゲーム

EPISODE:10/11

入稿まで、あと4日。
竹内から「超下書き」という「おわりに」原稿が編集者に届く。一読して、すばらしい内容。ここから10時間にわたり断続的に原稿が何度も往復し、納得のいく「おわりに」がまとまる。

入稿まで、あと2日。
夜、宮崎出張中の竹内に三校のPDFファイルが渡る。竹内は、出張中でも夜は時間がとれるから見ると言っていた。30分後、竹内から編集者に電話。まだしっくりこない箇所について、1時間半ほど話しあう。

「あ、もうこんな時間ですね、すみません~」と何度も言いながらも、納得するまで終わらせない竹内。さすがは「ウェイティングゲームの竹内洋岳」だ。笑いながら「まさにサミットプッシュみたいですね」と口にした。

入稿まで、あと1日。
最終赤字を反映した念校(4校)が上がる。このPDFも竹内のもとに送られた。
1時間後、竹内からメールが届く。
……
コレで校了と、いたしましょう。
……
無事に最後の難所を通過。

入稿当日

夕方、新藤から、カバーまわりと本文の入稿データがアップされる。
確認のうえ、印刷所に入稿データ送付。
編集者から、竹内、川口、新藤それぞれに入稿の報告。チーム全員で解放感を味わう。

帰還

EPISODE:11/11

印刷所から色校が届く

色校正を印刷所にもどし、下版。

印刷

印刷所から印刷後の一部抜き(刷り出し)が届く。

製本工程最終日。
一冊の本として完成する。
竹内洋岳『下山の哲学』、ついに下山完了、BC到着の瞬間を迎えた。

できた本が製本所から出版社倉庫に到着。全国へ発送開始

竹内、できたての本と対面。初版限定販売用に大量の本にサインする。

発売


発売日、サイン会にて。