パキスタンの悪名高きカラコルム・ハイウェーを行き、スカルドに向かう途中にこんな案内板があります。

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35°44’30.32"N
74°37’26.52"E

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ここは、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンズクシュ山脈の3つの末端が出会っているところです。

地形図で見ると北を上にして「Y」の字形に3つの山脈があり、右上に延びるのは、K2やガッシャブルムなどのあるカラコルム山脈。
下にシッポのように延びるのが、その先にエヴェレストやローツェなどなどがあるヒマラヤ山脈。
そして、左方向のアフガニスタン国境へ延びるのがヒンズクシュ山脈。

ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈は名前を聞くことがあると思いますが、ヒンズクシュ山脈はあまり聞かないかもしれません。

ヒンズクシュ山脈には8000m峰が無いので目立たないのかもしれません。8000m峰から周辺への興味も高まっていくこともありますから。

しかし、この地域は古来シルクロードの一部として歴史的にも要所でもあり、古くは747年に唐の高仙芝将軍がヒンズクシュ山脈の峠を越えてギルギットの近くにまで到達した記録も残っています。

1935年にはドイツの調査探検が入っており、登山で最も古い記録は1938年ドイツ隊によるアム・カラン(5100m)周辺での登山活動があるようですが詳細は不明。

その後、1950年から60年代にかけて、日本も含め多くの登山隊が入り乱れますがヒマラヤやカラコルムに比べて登山の進展が遅れたのは、やはりパキスタンとアフガニスタンの国境にある政治的に微妙な位置にあるからでしょう。

ヒンズクシュ山脈の登山史で特に知られるのが
1950年ノルウェーのアネル・ネス達によるティリチ・ミール主峰(7708m)への初登頂です。

アネル・ネスによる初登頂以前から、このティリチ・ミールは地元住民からは「呪いの山」と呼ばれ、なんでも象ほどもある巨大な「雪カエル」(??)が住み、山に登ろうとした者を2年以内に呪い殺すと言われていました。
そして、確かにこの地域に入った測量隊のメンバーや登山隊のメンバーが、殺人事件に巻き込まれたり、雪崩で亡くなったり、帰国後2年で病死したり・・・と雪カエルの祟りが起きていたのでしたぁー!!

ちなみに、初登頂に成功したアネル・ネスさん(正確には2次隊で登頂)は、ノルウェーの有名な哲学者としてオスロ大学で30年間教鞭をとり、生態系との調和を哲学で説き、環境と哲学を結びつけるなど、他にも多くの研究や社会活動に活躍され、今年の1月に96歳で亡くなっております。

日本隊も1967年に千葉県山岳連盟隊が、オーストリアのクルト・ディム・ベルガーとともに登頂しています。
そー言えば・・・
以前、スカルドでクルト・ディム・ベルガーに会ったことがある。
「山に行くために数え切れないほどの仕事をしたよ。掃除機の訪問販売なんて仕事もしたなー」ってな話してた。

ヒンズクシュ山脈と広く呼ばれる以前は、アベスタ(「鷲が飛ぶよりも高い」の意味)とも呼ばれていたそうです。
ヒンズクシュの名の由来は諸説あるようですが、「ヒンズー人(インド人)殺し」ってな意味らしい。それにも諸説があり、ヒンズー人の奴隷が峠を越えて連れてこられる際に多くが死んだからとか、ヒンズー人の軍勢が死んだからとか・・・
しかし、最近のパキスタン人は、現在の印パ情勢に沿った解釈をしているような・・・この案内板の前に立つと、聞いてもいないのに、通りかかりのオッサンまでもが、嬉しそうに、暑苦しく!ヒンズクシュの意味を教えてくれます。それが「インド人死すべし!」ってな感じに聞こえるのは、私だけ??

ちなみに、「カラコルム」は「黒い礫」ってな意味。
イギリスによる測量で地図に名前を表記する際には、「カラコルム」にするか「ムスターグ」にするか意見が分かれたようです。
この「カラコルム」はチンギス・ハンが、この地域も勢力圏に収めた際に、自分達の故郷であるモンゴルにある地名を名づけたとの説もあります。
ちなみに、ちなみに・・K2は「カラコルムの2番」(測量番号)ね。

「ヒマラヤ」は、以下略・・・

ヒンズクシュ山脈は、現在の新たな政治的不安定でなかなか入ることができませんが、まだまだ、多くの美しい山や壁が残されています。
入れるようになったら、すぐにでも行きたいですね!