※このブログは
報知新聞社様のご協力により再掲出したものです。
尚、当サイトにおける公開は2020年1月20日です。
銀のピッケル
数々の挑戦を退け、長く未踏峰であった、カナダのアルバータ峰は1925年に槇有恒を隊長にした日本の登山隊によって初登頂されました。
槇有恒は1921年にアイガーのミッテルレギの初登攀に成功し、その後の1956年、日本のマナスル初登頂の隊長を務めました。
日本隊はアルバータ峰の頂上にピッケルを残してきます。
それは「日本人が頂上に謎の純銀製ピッケルを残したらしい・・・」と麓のジャスパーの人々に伝わってゆきます。
アルバータ峰が第2登を許すのは、初登頂から23年後も経った1948年で、アメリカ隊が登頂を果たします。
その時、彼らが頂上で見たものは・・・
槇さんたちが残したピッケルが23年間そこに立っていたのです。
彼らは、そのピッケルを持ち下ろそうとして引き抜こうとしますが、硬く凍りつき、引き抜けずにシャフトの途中から折れてしまいました。
折れたピッケルはアメリカ隊の手によって「下山」し「純銀製」ではなくごく一般的な「スイス製のピッケル」であることが確認されましたが、ピッケルは、そのままアメリカ・アルパイン・クラブの展示室に直行!してしまいました。
そのピッケルには「M・T・H」と謎の文字が金で象嵌がされており、もしかして?天皇陛下のピッケル??とも言われたらしい。
その後、アメリカ隊のメンバーと槇さんとの手紙のやり取りで「M・T・H」の意味は登山隊のスポンサーとなっていた第16代細川家当主 侯爵細川護立のイニシャルであることも確認されましたが、(Tはなんだろう?モリ・タツ・ホソカワ?ミドルネーム?)それらは、カナダには、まったく知らされず、ピッケルがアメリカに持ち帰られた後も、いろいろな誤解と憶測が謎となり・・・
「アルバータ峰の頂上には日本人が天皇陛下から預かり、残した神秘の純銀ピッケルが立っていて、それを引き抜き、手にした者は勇者になれる!」くらいの「伝説」となって地元に受け継がれていたらしい。
その後、いくつかの登山隊がアルバータ峰に登頂しますが、「勇者」は現れず・・・1965年に日本の登山隊が登頂した際に、頂上で折れたピッケルの石突部分を発見します。
彼らは、それを登頂の記念として持ちおろしますが、第2登のアメリカ隊のものか?と、たいして気に留められなかったのです。
そして、月日は流れ・・・
アメリカに持ち去られた折れたピッケルも、日本に持ち帰られた残された石突も、人々の記憶の底に埋もれ忘れ去られていました・・・
しかし!
「銀のピッケル」はジャスパーでは誰もが知る伝説として人々に受け継がれていたのです。
そして!アルバータ峰初登頂から67年が過ぎた1992年にアメリカ・アルパイン・クラブの倉庫で包みの中にあった「伝説のピッケル」があるカナダ人の目に留まり、数々の不思議な巡り合わせが、遠く離ればなれになったピッケルを再び、1本に結びつけることになるのです!
で・・・
その「不思議な巡り合わせ」云々・・・を書くと、本一冊にでもなってしまうので・・・割愛!
興味のある方は調べてみてください。
(この「銀のピッケル」の話は、日本で中学校の道徳の教科書に掲載されていた時期もあったらしい)
そしてだ・・・
2000年にアルバータ峰初登頂75周年記念と離ればなれになったピッケルを一つに戻す記念式典がジャスパーで盛大に行われました。
その、記念式典の一環として、日本・カナダ合同登山隊を組織してアルバータ峰への登頂を目指す登山が行われました。
そして、その時の日本人メンバーの一人が、私だった・・・という意表を突く事実!
登山は天気が悪過ぎて、夏なのに吹雪!流水で落石がすさまじくて敗退・・・
アルバータ峰って、瓦礫を積み重ねたような岩山なんだよ。しかも、その瓦礫は三葉虫入り。
現在でも、あまり登頂される機会は少ない山だそうです。
敗退したにも関わらず、式典はそれはそれは盛大で!
記念硬貨(ジャスバーのみで有効の2カナダドル)は発行されるは、パレードはあるは、晩さん会はあるは・・・国賓にでもなったかのようでした。
登山は敗退でしたが、とても楽しい登山でした!
現在、一つに戻された伝説の「銀のピッケル」はジャスパーの山岳博物館に展示されています。
Comments
3
壮大な桜
ええ話やわ〜 何のイニシャルだったのか分からずが、また伝説を深めてる気がします (´∀`)
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11a
とてもいい話ですね! 引き抜いたものは勇者になれる…て、ほとんどエクスカリバーの世界ですね(^_^;) 日露戦争のミラクルを起こした国の皇帝のピッケルといえば当時のカナダ人にはそのくらいに思えたのかもしれませんね。 今回割愛なさった不思議な巡り会わせの部分を書いてNumberあたりに寄稿したら絶対載りますよ!竹内さん文章うまいですもん。CASIOの広告も入るし私が編集なら100パー[E:paper]ですよ。 あーグレートサミッツの曲が聞こえてきた……。
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りばんぷ
素晴らしいお話ですね。ぜひ自分の娘にも読ませたいですね。 合同登山隊の一員になれるなんて、すごい!日頃の行いがよくないとこういう機会に恵まれないのではないかと感じます。 しかし、因縁のカナダ⇔アメリカの関係を考えると、この引っこ抜いて持ち去ったアメリカ隊はそうとうカナダで顰蹙を買ったんじゃないですかね。 ジャスパーの山岳博物館に戻ってよかった、きっとピッケルも安住の地に移り喜んでいるのではないでしょうか。