※このブログは
報知新聞社様のご協力により再掲出したものです。
尚、当サイトにおける公開は2020年1月20日です。
マナスル総集編
1995年のマカルーで、最年少シェルパで「カンチャ」(末っ子)と呼ばれ、氷壁に張られたロープが登れず、「帰りたいよ~」と泣いていた、プラチリ・シェルパさん(右から3人目)は、今では、シェルパの誰もが、一目置く、「プラチリ組」とも呼ばれる一大派閥を率いる大サーダー(シェルパ頭)となりました。
(2007年のガッシャブルムの事故の際には片山右京さんのシェルパとして現地にいて、私のために医薬品や酸素をベースキャンプから事故現場まで驚異的なスピードで荷揚げしてくれました)
1996年のエヴェレスト(チョモランマ)で、まだ新米コックだった、マイラーさん(右)は、誰もが認めるネパールでナンバーワン!の日本食コックとなり「マイラー一門」とも呼ばれる、多くのお弟子さんを擁するまでになりました。
2012年のダウラギリで、皿洗いしか許されない、下っ端キッチンボーイだった、バルさん(左)は、マイラーさんの片腕として、アシスタントコックも任せられる、ファーストキッチンボーイになりました。
コックとして一人立ちする日も近いようです。
旧文部省登山研修所で、私と一緒に講師を務めていた、北村俊之さんは、国際山岳ガイドとなり、今回の登山隊の「バラサーブ」(隊長)を務めました。
(私は「ひげサーブ」と呼んでいた)
これまで登山を続けてきて出会った仲間と再び山を登る。
思いで深く、楽しい登山となりました。
今回、ご一緒した皆さんとも、また山で再会できることを願っています。
Comments
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プラチリ・シェルパさん, ありがとうございました! 皆さんの笑顔いいですね。 山っていいな~ 私も山に登りたいです! この10月の連休は皆さん、山ですかね~~~ chihiro
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タマタマ
沢山の出会いがずっと続いて繋がって、また新しい記憶となる幸せ! 本当に素晴らしい登山だったご様子で、ブログを拝見して感動しました!!