携帯電話を買ってきてくれ!!

 それまで、やる気もなさそーに、ぼーっとしていた何人かの若いスタッフは突然!色めきたった!!

 オレが行くー!!いや!オレが行くぞ!!

 ねえ、ねえ、ヒロ!日本に帰るときにはいらなくなっちゃうんだから、その時はオレにくれないかな??いや!オレにくれよ!!

 スカルドあたりの若い者にとっては、まだ携帯電話はちょっと背伸びが必要な一品だ。昔の日本みたいに携帯電話を振り回して歩くのが憧れだ!!

 自分の携帯電話じゃなくても、お店に行って携帯電話を買うっていう行為だけでもぜひしたい!!って感じか?

 いいから!なんでもいいから、さっさと買って来い!!

 いいか!ダラダラしてるなよ!とにかく、一番シンプルなのを買って、すぐに帰ってこい!!

 しかし、結局、この若い二人が携帯電話を買って帰ってきたは翌日の昼過ぎだ・・・。いろんな言い訳してたけどね。

 スカルドで二晩を過ごしたその日(22日)の朝の空は明らかに雲が垂れ込め、ヘリも飛行機も飛ぶ気配はまるでない。

 ようやく、携帯電話を買ってきたスタッフはうれしそーに箱から電話を取り出すと、

ヒロ!呼び出し音はどれにする??

 いーから!さっさと寄こせ!!

 使い方が分らなければなんでも聞いてね!

 なんで、携帯を持っていないのにそんなに精通してるんだよ?

 こいつら、彼らの上司が病室に携帯電話を置いたまま外に出て行くことがあると、われ先にその電話から、ハロー!サマレコーン!!と私用電話をかけまくって、経歴を削除してることをオレは知っているぞ!!チクルぞ!!

 それより、もう一度、買い物に行ってきてくれよ!

エージェントのヤツらが言う、明日!明日!は、あてにならない!もはやこれは長期戦だ!体制を整えなければならないぞ!

 この病院は陸軍病院の100倍マシ!とはいえやっぱりパキスタン!

 部屋は貸してくれたけど、ドクターは、たまーに、ドアの向こうからちょっとのぞく程度で、何をするわけでもない。まあ、こっちも何かを求めているわけではないが・・・。

入院して早々に病院のスタッフに頼んだマクラは二日経ってもいっこうに持ってきてくれる気配はないので、もう、自分でマクラを買う!!

  昨日の夜に頼んだ痛み止めは、なんども催促して、ようやくさっき届いた。これもまた、あてにならない。追加のメントス・・・じゃなかった、痛み止めも買ってきてくれ!

さらに病院で食事が出てくるわけではないので事故以来、ほとんど何も口にしていない。すぐにイスラマに帰れると思っていたが、このままではマズイ。

 なにか食べるなり、飲むなりしなければ!相当の脱水状態のはずだ。

 最初に収容された陸軍病院ではすぐに点滴をしてくれていたが、例の「気胸騒動」のせいで途中で抜かれてしまったのだ。

 エージェントのコックさんが作ってくれるスープは確かに美味しそうだが、コンパネベッドにはりつけ状態で上体を起こすどころか、首を持ち上げることもできない状態ではまともに飲むこともできない。

 パキスタン名物のマンゴージュースとマンゴーで乗り切ろう!

 とりあえずマンゴージュース20パックとマンゴー10個!!

 さらにエージェントのオフィスにデポしてある着替えの入った荷物も、持ってきてくれるよう頼んで二日経ってもいっこうに届かない。それも取ってきてくれ。

  とにかく、なにを頼んでも中一日必要なのがここパキスタンだ!

 なににしても、携帯電話が手に入って通信というライフラインは確保した!

 マンゴージュースをチューチュー吸いながら、とにもかくにも、事務局に電話する。

 電話の向こうで事務局の古野さんが

大丈夫??

ダメです!!コンパネの上に寝てます!疲れてます!このままでは体力の限界です!!早く、イスラマに帰れるようになんとか助けてくださーい!!

 この電話が、あっちこっちに伝わる間に、また、いらん憶測を呼ぶことになるのだが・・・。

 ええぇぇ??病院を追い出されてコンパネの上に寝かされてる??体力の限界??体の状態はマンゴージュースしか飲めないほどに弱ってる??などなど・・・。

ちなみに、ここまでの時系列を整理しておきましょう。

ご存知のように

18日 事故発生

19日 C1に搬送

20日 C1からヘリコプターでスカルドに搬送されて、最初の陸軍病院からあちこちの病院をたらい回しにされて、なんとか入院。イスラマへのヘリ飛ばず

21日 ヘリ飛ばず・・

22日 ヘリ飛ばず・・・・・

 事故発生からすでに5日が経過していた。

 スカルドでの進展は携帯電話を手にいれられたことだけだ・・・・。

 しかし、この携帯電話によっていろいろなことが確認できるようになった。

 陸軍病院で撮影したレントゲンにより、背骨の一つが潰れていることと、肋骨が複数折れていて、気胸になっていることはすでに事務局に伝わっていた。

 それに基づき、日本と南極の先生たちからいろいろな確認が行われた。

 竹内!足は動くか?痺れはないか?

 動きまーす!しびれてませーん!!

 トイレはできてるか?

 ハイ!小は、いつも山でやってるのと同じにナルゲンのボトルにしてますよ!なれたモンっす!!

 大のほうは事故以来、全然食べてないんでずーっと出てなかったんですけど、さっき、ようやく出ましたよー!!二人に両脇から抱えられて、無理やり気合!でトイレに行きましたよ!いやー大変でしたー!!すっげー痛かったっすよ!!あはははー!

 バッカもーん!!

 ここまで、せっかく麻痺が出てないのにトイレにいって麻痺が出たらどうするんだー!!

 体を起こすな!腰を浮かすな!体をひねるな!とにかく動くなー!!

 えぇえぇー??じゃあ、トイレどうするんですか?

 そこでしろー!!

 ひー!!食べるのヤメろってことか??

などなど・・・・。

 確かにどこを動かしても痛い!!電話でしゃべっても、マンゴージュースを飲んでも、息をしていても痛い!!

痛み止めが効いていればなんとか動けるので、効いているのを見計らって食べたり、飲んだり、電話もしてるような状態だ。

 トイレも痛み止めの効くのを計算の上で、自分なりによくやった!と満足の結果だったが・・・・。

 知らないって恐ろしいね。

 とは言え、雪崩に生き埋めにされて、掘り出された直後、両脇を抱えられながらも20分ぐらい悪い斜面を歩いて下ったよ・・・。

 すっげー痛かった・・・。絶叫!してた。

背骨が破裂骨折していて歩けるもんなんだろうか??こうして寝てたって激痛なのに。

 きっと、頭の中で脳内ナントカとかその他いろいろがシブキ!を上げて噴き出していたんだろうね・・・。

 うーん、人体の神秘だ。

まだまだ、つづく!