その記憶は体にも刻まれています。

 その時に「爪母」で作られたであろう爪組織の部分は薄くなり溝になっています。

 

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(写真は約1週間前の撮影)

 これまでも、登山終了後に伸びてきた爪には、色が変わったり、線が入ったりした部分が現れるのはいつものことですが、これほど、深く幅のある溝になったのは初めてです。

 きっと、体が爪なんか作ってる場合じゃなーい!って感じだったんでしょうね。

もちろん、両手両足の20本の同じところに同じように刻まれています。

 意外なことに?私はまだ20本全部あるんですよ・・・。

 体は日々、動くようになり、いずれこの爪の刻印も消えていくのでしょう。

 あのときの記憶もいつか消えてしまうのでしょうか?

 あまりにかけ離れたこの日常で、それは時間の流れの中で少しずつ、おぼろげになり、悪夢のようにも作り話のようにも思え、時にはその記憶を消し去りたいと望む自分への怒り、そして、それを連れ去ろうとする時間に抗うことができない絶望がこの爪の刻印が押し上げられていくごとに強まります。

Comments

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0921

爪に現れるその時の状況、そうなんですね。 小生の僅かなヒマラヤ体験と、竹内さんとが同じとは嬉しい限りです。 それにつけても、このブログは面白いです。 山渓に載せていた今流の文(若い者風)と、折々にこのブログに出て くる、深い(?)心情を表現する文。 竹内さんのフアンになってきています。

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ba~cyan

記憶は薄れて、時の流れに人は流されて今を、そして明日、未来を生きていくのかなと。 爪は人が亡くなっても残るんですよね。登山の靴下をあらっていた時、中から自分の知っていた爪が出てきて、彼の死に直面したことがありました。爪は正直なんですね。あとから思い出させる。 記憶は薄れても、生き残れた現実、体験したことはきっと心の中から消えなくて、マグマのように奥深く潜んでる気がしませんか?