※このブログは
報知新聞社様のご協力により再掲出したものです。
尚、当サイトにおける公開は2020年1月20日です。
新エヴェレスト年 第4回
カトマンズの古本屋さんで、これまた偶然に発見した1936年発行のエヴェレスト北面の地図。
これは1830年に設立されたロンドン地理学協会、後の英国王立地理学協会が1831年から現在も発行を続ける(途中で名称変更や中断あり)世界でもっても歴史ある地理学雑誌「Geographical Journal」の1936年10月発行版に含まれていた地図です。
RGS(英国王立地理学協会)のピクチャーライブラリー↓↓↓
http://images.rgs.org/index.aspx
(膨大な点数なので全部見るのは大変ですがこれは必見!エヴェレストのキャビネットには1921年の第1次イギリス隊から1953年の初登頂までを網羅!また、アンタルティカのキャビネットではシャクルトンやスコットの写真も収められており、中には4枚だけながら白瀬矗の写真も含まれています)
頂上の標高は29,002フィートとありますが、これは当時の測量でエヴェレストの標高は29,000フィートジャスト!と割り出されていましたが、端数を切り捨てたように見えるので誤差範囲内での修正として2フィートを足した表示にしたとされています。
「その山」はチベットで1719年に作られた地図に「Jumu Langma Ali」(チョモランマ)と記されていて存在は知られていましたが、インドから三角法で測量された際は便宜上「ピーク15」と呼ばれていました。1852年にデータが整理されて、それまで最高峰とされていたカンチェンジュンガを抜いて、まさに世界最高峰になったのです。
地図上で、エヴェレストは最初から世界最高峰ではなかったのです。
(なぜ、エヴェレストと呼ばれるようになったかはWikipediaとかをどうぞ)
さて、この地図が発行された1936年とは?
世界では、ナチス主導のベルリン・オリンピックが開催され、日本では二・二六事件が起こった年です。
エヴェレストではなにが起きていたのか?
多くの人にとって、初登頂までの「エヴェレスト登山史」は、1924年のマロリーとアービンの謎に満ちた遭難。そして、1953年のヒラリーとテンジンの初登頂で説明されてしまうかのようですが、最も古いエヴェレスト登山計画は1907年にさかのぼります。
イギリス山岳会による、その計画は、残念ながら当時のインドやソ連の外交駆け引きのなか、計画段階で頓挫しますが、1913年にはイギリスのJ・B・L・ノエルがチベットに密行してエヴェレストに近づこうとしたりしています。
第1次世界大戦の影響により、ようやくエヴェレストで「登山」が行われたのは1921年の第1次イギリス隊で、このときはノースコル(7000m)に到達しています。
マロリーはこの第1次隊から参加し、1922年の第2次隊、そして1924年の第3次隊でアービンと共にエヴェレストに消え、彼らの「史上最も有名な遭難」は多くの謎を残すことになるのはご存知の通り。
そして、なんだか年表上では、もう次は1953年の初登頂!!って感じ?ですが・・・
実際には、1924年以降の9年間はダライ・ラマの許可がおりず空白期間が流れるも、再び1933年からイギリス隊は1951年までに第8次隊までをエヴェレストに送り込んでいます。
もはや執念!です!
その間の登山の内容やらはここでは割愛しますが、
エドワード・F・ノートン、ノエル・E・オデール、エリック・R・シンプトン、フランシス・S・スマイス、ハロルド・W・ティルマン
・・・まさに超有名どころが、ヨッて!タカって!頂上を目指すもエヴェレストの頂きは遠かった・・・
しかし、彼らの執念によって、エヴェレストの地形が明らかにされ、その後1953年の初登頂に結びつくのです。
当時、エヴェレストではイギリス隊ばかりでなく、カナダ、アメリカ、デンマーク、ソ連(謎の登山隊)などもその頂上を狙って右往左往していました。
この地図が発行された1936年は、まさにイギリス隊が世界最高峰の頂きに執念を燃やしていた、その時代の真っただ中だったのです。
そんな、エヴェレスト登山史聡明期の中で燦然!!と光り輝く!!のは、ブッチギリ!!で、
1934年のイギリスのモーリス・ウイルソンさん(当時37歳)でしょう!
このウイルソンさんは、元イギリス軍人ですが、ある日、突然?エヴェレストに登りたくなっちゃって?
なーんと!!!
自分で飛行機を操縦して、エヴェレストの頂上近くに不時着?墜落?させて、そこから頂上へ向かおう!!って、超!画期的!!な計画を立てます。
そして、本当に飛行機と共にインドで準備を進めますが・・・
残念なことに?というか当たり前ってか?
許可がおりず、外交的な問題にもなって飛行機は没収!!
しかーし!!このオッサン諦めることなく、そのまま、チベットに密入国!!そして、単独でエヴェレストの頂上に向かって登りはじめるのです!!
結局・・・翌年1935年に彼はノースコルの下あたりで第5次イギリス隊によって遺体で発見されるのですが・・・
普通、飛行機が没収された時点で諦めるよね?それ以前にそんな計画立てる??
さらに、密入国してさらに単独で行っちゃったとは・・・
ウイルソンさん!なんて、男らしい!んだ??
私の「会ってみたい歴史上人物リスト」の常にトップ3にいます。会ってみたいなー!きっとスゲー面白いだろうね。
そのエヴェレストが数々の挑戦をことごとく退けていたその時代・・・
1933年
「登山史」には記されない、一つの大いなる歴史がエヴェレストで創られました。
その歴史は、恐らく、このウイルソンさんにも大きな影響を与えたと思われます。
その歴史にまつわる一品は次回に紹介しましょう!