Cimg0507

亀田製菓「柿の種」の「けなげ組」会員番号60番である「ハーケン」を探せ!!

以下、引用・・・

「ハーケン」=岩や氷の割れ目に打ち込んで登山の足がかりにする金具

ひとわたり登山家のお役に立ったらその後は来る日も来る日もじっと下界を見下ろすだけ・・・

特にエベレストの北稜なんぞに残された時にや多分永遠の孤独地獄なのだ・・・

(ハーケン【独】=ピトン【英】 「岩や氷の割れ目に打ち込む」とありますが、以前は氷用のアイスハーケンも多用されましたが、最近、氷には多くの場合アイススクリューが使用されます)

残置されることを前提に書かれていますが、ネイリングでは回収が基本です。(クリーニングの方が大変なこと多々あり・・・)

しかし、注目すべきは、その後に書かれている「エヴェレスト北稜」!

確かに、ここに打たれたものは残置される場合が多いでしょう。

長期間残置されているとすると、氷ではなく岩に打たれていると考えられます。(この絵からはロックピトンかアイスピトンが判別は不可能・・・だが・・・)

このルートの下部は氷と雪のルートなので、岩稜帯に入る7500m付近から、北稜が北東稜に交わる8370m付近までの間にあると思われます。

しかし、ここで謎が残ります。

エヴェレストの北稜は、正確には「北稜から北東稜」と呼ばれる、いわゆるエヴェレスト北面のノーマルルートです。

マロリーの謎は残るものの、1960年に中国隊によって初めて登られた、このノースコルからのルートはこれまで多くの登山者を頂上に導いてきました。

したがって、もし、このハーケンが北稜に打たれているとすると、毎年、多くの登山者が行き交い、孤独地獄ということは無い。

では、こいつはどこにいるのか?

1996年にロシア隊が北稜の東面のクーロワールから北東稜を経由して頂上に達しています。

その際に、北稜の東面側に残されたハーケンかもしれない。

しかし、問題は、このハーケンの吐露がいつされたか?

もし1996年以降にされたものなら、このロシア隊のものである可能性が高くなりますが、それ以前にされたとなると・・・

1988年にB.BlanchardとM.Twinght(手元の資料では国籍不明)らによる東面クロワールへの初トライの際に残されたものかもしれません。

さらに、同年1988年の冬にトライした、長谷川恒夫さん、星野清隆さんが残したハーケンの可能性も捨てきれません!

まだまだ、謎が残ります!

とりあえず、亀田製菓「柿の種6パック入り」で探してみましょう!

これが出たら、アタリ!です。

Cimg0510