• 標高:8051m/世界第12位
  • 所在地:パキスタン・中国
  • 初登頂:1957年、オーストリア隊 ヘルマン・ブール、クルト・デュームベンガーら
  • 竹内洋岳の登頂:2008年7月31日午後1時(日本時間午後4時)、通常ルートより無酸素で

 K2の南東約10km付近に位置し、ガッシャブルム連峰の一部にも属する標高世界第12位の山で、1856年から始まったインド測量局のカラコルム大測量の際に付けられた測量番号は「K3」。よってK2にならってK3と呼ばれることもしばしばあるが、その後の調査で山頂の幅が1.5kmにも及ぶことから「広き頂き」を意味する「ブロード・ピーク」の名前が付けられ、やがてそちらの名で広く浸透することになった。
 その名付け親は、ガッシャブルムⅠ峰を「ヒドゥン・ピーク」と呼んだことでも知られるW.M.コンウェイであるが、これはスイス・アルプス山脈の「ブライトホルン」という急峻な山の姿に似ていたことから、イギリス人である彼がそれを単に英語読みに変換して名付けたものだ、という説も同時に存在している。
 また地元の人々の間では英語読みではなく、彼ら独自の言語であるバルーチ語で同じ意味を持つ「ファルチャンカンリ」の名で呼ばれることの方が圧倒的に多い。
 命名元となった広い頂を見せる主峰(8051m)の他にも、前峰(8035m)、中央峰(8006m)、さらには北峰(7387m)と、4つのそれぞれ個性的な形状を持つ峰が並んでひしめきそびえ立っており、それもこの山の大きな特徴を成している。

竹内洋岳のコメント

ガッシャブルム Ⅱ峰の登頂後、同じ山域にあるブロードピークに継続し、シングルプッシュでの登頂。前年の事故からガッシャブルムⅡ峰、ブロードピークの連続登頂となり、8000m峰10座目の登頂は、過去の日本人8000m峰最多登頂記録を更新したことになりました。
私にとって、前年の事故の怪我からの真の復帰を試す登山であり、それまで得意としていた継続登山に復帰できたことに大きな成果のあった登山でした。

日本一わかりやすい
8000m峰14座完全データ