• 標高:8035m/世界第13位
  • 所在地:パキスタン・中国
  • 初登頂:1956年、オーストリア隊 ヨゼフ・ラルヒ、フリッツ・モラベック、ハンス・ヴィレンパルト
  • 竹内洋岳の登頂:2008年7月8日午後1時19分(日本時間午後4時19分)、通常ルートより無酸素で

 中国・シンチャンウイグル自治区とパキスタン北方地区の境にあるガッシャブルム連峰は、巨大な氷河を取り囲むように弧を描いて、東からⅠ峰(8068m)、Ⅱ峰(8035m)、Ⅲ峰(7952m)、Ⅳ峰(7925m)、Ⅴ峰(7133m)、Ⅶ峰(7004m)が連なっており、その最高峰、及び第2峰が8000m峰14座のうちの2つに数えられている。
 ガッシャブルムとはチベット語の方言のひとつであるバルディ語で「輝く峰」、あるい「輝く壁」という意味であり、本来は氷河の正面に位置しているⅣ峰に与えられるべき名称であったが、いつのまにかそれが連峰全体の名称となったものである。
 またこの連峰の最高峰であるガッシャブルムⅠ峰は氷河の最奥付近にあり、Ⅴ峰の陰に隠れてその姿は氷河入口から見えないため、1892年、イギリスのW.M.コンウェイによって「ヒドゥンピーク(隠れた峰)」と称され、この別名で呼ばれることもしばしばある。
 なお1856年から始まったインド測量局のカラコルム大測量の際には、この北西約24kmにそびえる標高世界第2位のK2同様、この両8000m峰も計測されており、ガッシャブルムⅡ峰には「K4」の測量番号が付けられている。

竹内洋岳のコメント

2007年のマナスル登頂後にガッシャブルム Ⅱ峰に継続しましたが、標高7000m付近で大規模な雪崩に巻き込まれ背骨を折る大怪我をしレスキューは不可能とされながらも、各国の登山チームの懸命なレスキューで約2週間かけて寝たきりのままで日本に帰国し、背骨にシャフトを入れる手術ののち、リハビリによって登山に復帰。その翌年の2008年に再びガッシャブルム Ⅱ峰に戻り登頂しました。

日本一わかりやすい
8000m峰14座完全データ