• 標高:8463m/世界第5位
  • 所在地:ネパール・中国
  • 初登頂:1955年、フランス隊 リオネル・テレイとジーン・クジィ
  • 竹内洋岳の登頂:1995年5月22日、日本山岳会隊。東陵下部を初登攀

 ネパールと中国・チベット自治区の国境地帯、エベレストの南東約20㎞に位置する標高世界5位のマカル―は、そのさらに南東方面から眺めた人々によって、よくエベレストであると誤解されてきた山だとも伝えられている。
 一説によると、本来の山名はチベット語の「カマルン」であったはずだとされている。それは山の北東・チベット側を流れるカンシュン氷河が通る谷の地名「カマ谷」に起因しており、これに「ルン」=「地域、谷」が結びついて「カマルン」に。つまり「カマ谷にある峰」ということでそう呼ばれていたのが、いつのまにか転じて「マカル―」となり、その間違った呼称が世界に広まって完全定着してしまったのだ、という説である。
 また別の語源説も存在しており、それはヒンズー教のシヴァ神の化身で、黒に近い青色をした神、サンスクリット語で「マハカラ」と呼ぶその神に起因しているというものだ。山体に黒ずんだ花崗岩の露出が目立つマカル―は、まさにその「マカハラ」を思わせるところがこの説の主張なのだが、果たしてどちらの説が正しいのか、あるいはどちらも正しくないのかは、今となっては知る術もないというのが実情である。

竹内洋岳のコメント

まだインターネットも衛星写真も普及していない1995年当時、情報も写真もなく手探りで未踏のチベット側から未踏の東稜の初登攀を狙う「最後の探検登山」とも言われました。私にとって初の8000m峰登頂となり、重廣恒夫隊長はじめ、当時、憧れの登山家たちと共に挑み、彼らから多くを学んだ、私の登山の礎となった山でした。偵察隊のメンバーとして先発し、チベット最奥の村での生活や、未踏の尾根の厳しさと気高さに触れ、その後、私をヒマラヤ登山に駆り立てる大きな動機になりました。

日本一わかりやすい
8000m峰14座完全データ