※このブログは
報知新聞社様のご協力により再掲出したものです。
尚、当サイトにおける公開は2020年1月20日です。
パキスタン入院顛末 その4
その昔、大金持ちのイエメン人が息子と一緒にこのスカルドに旅行に来たそうな。
スカルドはパキスタンではお金持ちに人気の避暑地として有名。
きっとそのイエメン人親子もそんな避暑旅行だったのだろうか?
その時、息子が突然の重い病気にかかり、お父さんは瀕死の息子をかかえ、息子を助けてくれ!とスカルド中の病院を駆け回ったんだそうな。
しかし、スカルドには満足な病院もなく、医者もおらず、お父さんの願いもむなしく、息子はこの異国の僻地で亡くなってしまうのであった。
お父さんは最愛の息子を失い、こんな僻地に息子を連れてきたことを悔やみながらも、この地にちゃんとした病院がないことに失望し、その後、私財をなげうって、この地に病院を建て医師を派遣したのだそうな・・・・。
それが、ようやく私が入院したこの病院。
わかるなー・・・、その気持ち・・・。
きっと、最初にあの陸軍病院に行ったに違いない!
それは、さておき、とにかく、このスカルドから脱出だ!!なんとしても早急にイスラマに戻るんだ!!
今日、イスラマに戻れれば、最短で明日には日本行きの飛行機に乗れるはず!!(その時はそう信じていた・・・)ネパールとかでもヨーロッパのクライマーが山で事故にあうと事故現場から最短で3日ぐらいで本国の病院に入院するなんて話はよく聞くことだ。
とにかく、日本に帰ればなんとかなるはず!
すでにエージェントを通じてスカルドからイスラマへのヘリをチャーターするように依頼している。スタッフが言うには既に機材(ロシアンヘリ)はスカルドに駐機しているから手続きが終了次第、飛ぶはずだと言っている。
連絡があったらすぐにヘリポートに行けるように担架の上に乗せられたまま待つ・・・・・。
なんか食べる?
いい!もうすぐイスラマに帰るから!
なんか飲む?
いい!もうすぐイスラマに帰るから!
トイレは大丈夫?
いい!もうすぐイスラマに帰るから!
イスラマまではヘリで約2時間ほどだ。乗ってしまえば、あっ!という間のはずだ。
・・・・担架の上でジリジリと待つが・・・・。だんだん、日が傾き始めた。
ようやくスタッフがやって来て!ついにフライトか?
今日は飛びませーん!ゴメンネ!!
なんだとー!!話が違うじゃないかー!!なんでだー!!
えーっと、その、政治的問題で・・・。
なんで、ここに、どう言う政治的問題があるんだー!!
後でわかったことだが実は、このエージェントのレスキュー費用のデポジットに手続き上の問題があったのだ。
明日の早朝には間違いなく飛ぶから!朝一番でチャーターしたヘリか、その後の定期便の飛行機をキープしてあるから、間違いなく明日には帰れるから!落ち着いて・・・・!
チクショー!!体が動けば基地に乗り込んで行くのに!!
とにかく明日を待つしかない!
その時、日本の事務局は大変な騒ぎになっていた。
まさに情報が錯綜するとはこのことで、金田ドクター(凍傷の先生でご存知)や増山ドクター、南極昭和基地にいる志賀尚子ドクターをも巻き込んでエライ大騒ぎになっていた。
下半身不随らしい?折れた肋骨が肺に刺さっているらしい?(肋骨が肺に刺さると24時間もちませんってことで、これは早々に先生方から否定)、頭を相当に打っていてバカになってるらしい?(もともとバカだ!とすかさず肯定?)、いや、既に死んでいるのでは?などなど・・・。
事務局はすかさずパキスタンの日本大使館と連絡を取り、別にヘリのチャーターを手配し始めていた。
ヘリが飛ばない理由がエージェントの問題だということを知り、日本大使館がヘリの費用の支払い保証を引き受けてくれたのだ。さらに、JICAの小林ドクターがイスラマで待機してくださり受け入れ態勢を整えてくれていた。
事務局のスタッフはその交渉や事務処理に連日の徹夜で対応してくれていた。
そんな日本の大騒ぎなどツユ知らず、私はコンパネの上で動くこともできず、スタッフに市場で買ってこさせたボルタレン(痛み止め)を「メントス」のようにかじって待つしかなかったのだ。
(話は違うけど、コーラにメントス入れると爆発するって知ってる?スゴイよ!以前、例のシャングリラホテルの庭でやったら怒られた)
そして、翌朝・・・・・。
フライトは朝の6時予定。5時には既に出発の準備を整えていて迎えの車を待つばかりだ。
そして、時計は6時・・・・7時・・・・8時・・・・9時・・・・・10時・・・・時間はズルズルと過ぎていく・・・。予定ではこの病院から少し離れたホテルにいるディルクをエージェントのスタッフが車でピックアップしてからこの病院で私をピックアップしてヘリポートに行くことになっていた。
ディルク(彼はBCからの荷物の引き上げがあるのでスカルドに留まることになっていた)も一向に迎えが来ないので自分でタクシーを拾って病院にきて待っていた。
ディルクはここに来る前にエージェントのオフィスに寄って来たがもぬけのカラだったそうでスタッフの携帯に何度も電話してもつながらないという。
私たちがイライラと待っているのをみて、私の付き添い役を押し付けられた何もわからない若い下っ端スタッフは、何を言い出されるかと私たちと目を合わさないようビクビクしてる。
ようやく12時過ぎになったら、スタッフたちがぞろぞろと病室にやってきたかと思うと、彼らはベッドの上の私やディルクに一瞥することもなく、みんなで持ち寄った料理やらお茶やらで盛大なランチパーティーを始めだした。
その様子があまりに自然で当然のようなので私とディルクの二人はあっけに取られてしまっていた。
ようやく、私たちが口を開いた・・・。
フライトは??
あー、今日のフライトは天気が悪くてキャンセル。定期便の飛行機も天気が悪いからキャンセルだって。
スカルドの空港にはレーダー設備がないので全て有視界飛行のため、ほんのわずかな曇りでも飛行機は飛ばないし、谷あいのルートを飛ぶために、スカルドの天気がよくても途中にわずかな曇りの部分があれば飛べない。しかも、すでにモンスーンの季節が近づいているのでこの時期は平気で1週間飛行機が飛ばないこともザラだ。
だから!昨日あんなに天気がよかったチャンスを逃したのが失敗だったんだよ!!
朝の5時から待っているのになんでなんの連絡もないんだよ!
だって、ほら!空が曇ってるのをみればわかるじゃん?
明日は必ず飛ぶようにこれから交渉しにいくから心配ないって!
はー・・・ダメだ。こいつら。
昨日、この病院にたどり着くまでの一件といい、もう、あてにならん。
確かにパキスタン人は「知らない」とか「できない」とかと口にするなら死んだほうがマシだと言う習慣?があるんだよね。
もう見切った!!
私はすかさず、若いスタッフに金を渡すと、市場でこの地域で使える携帯電話を買ってくるように頼んだ。
今、手元にある衛星電話は部屋の中では使えない。ベッドの上からは電話できないのだ。
ここで怪我人だからと言って、グッタリしていて彼らに任せていてもラチがあかない!
こうなったら自分で事務局と連絡を取って、こいつらとは別になんとかしなければ!!せっかく山で助けてもらったのに、ここに来て人災でどうにかなってしまう!
こうなったら、基本のセルフレスキューだ!!
つづく
Comments
1
山形の大魔人
<<ボルタレン ええ!! あんなの市場で手にはいるの!? さすがマジカルパキスタンだね。 私も親知らずの痛み止めでもらった奴だいじに取ってあるんだけど。 トライアスロンの選手も腰痛止めに使ってるだよ。